『プライベート・ケース』のフランス映画らしさ
レベッカ・ズロトフスキ監督の『プライベート・ケース』を見て、久しぶりにフランスの作家映画らしさを味わった。「フランスの作家映画」というのは必ずしも誉め言葉ではない。実に凝ってはいるが、日本で一般的にはちょっと違和感のある映画といったらいいのか、人間の異常な恋愛や心理を執拗に追う映画を指す。
最近はフランスの若手監督では脚本家出身が活躍している。『燃える女の肖像』のセリーヌ・シアマが代表格だが、ズロトフスキもシアマと同じ時期に出てきたはずだ。この監督の『美しき棘』(2010)は鮮烈な印象を残したが、さてそれからどうなったか見たいと思った。
そのうえ、主演は何とジョディ・フォスターである。彼女が仏語に堪能なのは知っていたので、いつかフランス映画で見たいと思っていた。彼女が精神科医で、その元夫の眼科医がダニエル・オートゥイユ。そして死んでしまう患者がヴィルジニー・エフィラでその夫がマチュー・アマルリック。
さらにはドキュメンタリー監督で最近亡くなったフレデリック・ワイズマンが出てくるという。見てみると、ほかにもヴァンサン・ラコスト、イレーネ・ジャコブ、ソフィー・ギユマンなどフランス映画に詳しい者ならばまるできら星だ。
物語は9年間患者だったポーラが亡くなったという知らせを受けた精神科医のリリアンが葬儀に行くところから始まる。アマルリック演じるその夫はリリアンをまるで犯人のように扱い、リリアンは逃げてくる。ポーラの娘から話を聞くうちにポーラは亡くなった伯母から莫大な遺産を譲り受けたことがわかる。リリアンはポーラの夫を疑い、追跡を始める。
一方でリリアンは精神が不安定になり、元夫と会って彼に追跡を手伝わせる。夫役のオートゥイユが絶妙で、妻の異常を知りながらも言われるがままに付き合い、おかしな方向に行く。一方でアマルリックは例によって謎の行動が抜群。彼が恋人と逢引きしている家をオートゥイュが訪ねるシーンなど本当におかしい。
あくまでジョディ―・フォスターはフランス人と結婚したアメリカ人役で、彼女が昔の師である精神科医(ワイズマン)と会う時は英語で話す。ワイズマンが年齢にもかかわらずずいぶん堂々と話すのにも驚いた。
サスペンスとしての作りはいま一つだけれど、途中からジョディ―・フォスターの妄想が楽しくなってきた。オートゥイユとの掛け合いも最初は真面目なのにだんだん漫才みたいに見えてくる。ああ、フランス映画らしいなあと思った。
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