清水崇版『八つ墓村』のシンプルさと大胆さ
9月18日公開の清水崇監督『八つ墓村』を見た。もちろん横溝正史の金田一耕助シリーズの有名な原作(1949-51に連載)があり、さらには野村芳太郎監督の1977年版があり、さらには1996年の市川崑監督版があり、テレビのシリーズもたくさんある。さてこのうえ何を、という感じだが、これが意外におもしろかった。
よく考えたら、野村芳太郎版も市川崑版も原作から取捨選択してそれぞれが映画に料理しやすい要因を生かしながら、適宜省いている。人物像もかなり差がある。なにしろ野村版では金田一耕助が渥美清なのに、市川版では豊川悦司なのだから、イメージがまるで違う。
私の記憶だと野村版は田舎に眠る奥深い呪いを丁寧に見せたのに対し、市川版は豪華絢爛、才気煥発でたっぷり楽しませる。野村版には高度成長期の歪みがあり、市川版にはバブルの日本的なそれいけどんどんの勢いがある。つまり作られた時代を反映する。
では清水版はどうかと言えば、ずいぶん単純化した感じだ。すでに小説から野村版になる時にいくつか省いており、市川版では鍾乳洞の中がずいぶん簡単になっている。ところが清水版では何と登場人物を大幅に削っている。
主人公の辰弥を支える重要な人物も含めて、まさかと思うほどいない人物が数名。もともと原作は複雑すぎるのだが、ここまでやるとは思わなかった。さらには恋愛の要素がほとんで消えている。主人公の辰哉は原作でもこれまでの映画でもさまざまな女たちに愛されるのだが、それがほぼない。これで思わせぶりが消えてすっきりした。
その分、例えば滝藤賢一が演じている田治見家当主の久弥とその父の要蔵(どの版でも同じ役者)の場面が今回はたっぷり見せられる。あるいは16世紀のこの物語の起源にあたる部分もしっかり見せる。そしてそれを辰哉の母と直接結びつけるという大胆な改変だ。
辰哉を演じる奥智也はいかにも就活中の現代の若者だし、それは最後のクレジットの後のカットまでそうだ。あるいは八つ墓村の村人たちもいかにも今風だ。村人と言えば、彼らが祭で仮面を使うという演出もなかなかいいと思った。火事の場面もなかなかの迫力。そして金田一耕助役の尾上松也が飄々としておかしい。
そんなこんなでかなり楽しんだ。原作を読んで、さらに2つのバージョンを事前に見ておくと何倍も楽しめるのは間違いないが、これだけ見ても今風のミステリーとして見ることができそうだ。
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