『赤い砂漠』の音と色の強度
ミケランジェロ・アントニオーニの『赤い砂漠』(1964)を劇場で見た。今回の4K修復版の音と色の強度は、映画館で見ると震えが来るほど。冒頭、海岸の工場地帯をジュリアーナと息子が歩く。不協和音の歌声に工場の騒音が混じり、焦点のボケた工場や鉄塔の群れが揺れる。
ようやくクレジットが終わり、そこに現れたのは緑のコートを着た女とベージュの上着を着た息子の二人。女は見知らぬ労働者が食べているパンを強引に買い取って、自分で食べる。遠くでは工場から黄色い煙が出ている。「この世の果て」という言葉があるが、今見てもそんな感じ。1964年にこれを見た観客は何を思っただろうか。
モニカ・ヴィッティ演じるジュリアーナの住む家は青や赤の金属があちこちにあり、子供には妙な機械のおもちゃがある。あるいはジュリアーナが開こうとしてる店には数多くのペンキが持ち込まれて壁が塗られれつつあるが、まるで抽象絵画のアトリエのよう。こんなところで何を売るのか。
そして夫の友人は海辺に妙な小屋を持っており、そこにジュリアーナ、夫、夫の友人とその妻とその友人の女、転勤してきたコラドの6人が酒を飲んで乱交パーティを始めそうな感じ。そこに聞こえる波の音と大型船の騒音。
コラドとジュリアーナは仲良くなり、ある日ジュリアーナはコラドの住むアパートを突然訪ねて関係を持つ。真っ白なこのアパートの無機質なことといったら。コラドは自分と共に海外に行く労働者を集めようとしている。近くには真っ赤に塗られた電線の塔が並ぶ。
ある日ジュリアーナは息子に南の島の少女の話をする。そこは彼らの住むラヴェンナの工場地帯とは正反対で、青い海と白い浜があって少女が泳ぐ。浜の色はピンクに近いところもあって、まさに夢のよう。今は失われた、イタリア人にとっての天国の風景か。そしてジュリアーナは外国船に近づくが、言葉が通じない。
ポイントは、ジュリアーナも含めて誰も工場や騒音やパーティに支配される「現代」に反対していないこと。ジュリアーナはある意味では一番人工的な風景と合致しており、あの空気や光や音と同化している感じがした。モニカ・ヴィッティという女優の顔つきや物腰が、まさにそうなのだ。
これは劇場で見てよかった。最近しまったと思ったのは、マノエル・ド・オリヴェイラの『アブラハム渓谷』をブルーレイで見たこと。あのレオノール・シルヴェイラの青い瞳と次々に出てくるちょっと古めかしいドレスの数々、男の吸う煙草の先に自分の煙草をくっつけて火をもらう仕草などは、劇場で見たかった。時おり流れるドビュッシーやフォーレやベートーベンの音楽も含めて。
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