『オデュッセイア』の単調さと見どころ
もともとギリシャやローマの神話は何度聞いても覚えられない。映画でも1910年代のイタリアの「史劇」以来定番のテーマだけれど、あまり見ていない。今回『オデュッセイア』を見たのは、もちろん監督がクリストファー・ノーランだから。
この監督が好きなのは、大作を作りながらも異常なまでのリアリズム感覚を持っていること。さてそもそもがファンタジーに近いギリシャ神話だとどうなるか。結果は、この監督の作品としては単調だが、それでもおもしろかった。
ノーラン監督は「説明」をしない。いきなり核心から始める。ところがオデュッセウスの物語は前提が多すぎる。特に日本人は知らないことが多い。冒頭にたくさんの固有名詞が出てきて、とても覚えきれない。ちょっとだけ眠くなったが、トロイの木馬が出てくるあたりからはそのリアルな表現に目が離せなくなった。
そもそも、なぜ彼は放浪を強いられているのか、映画ではこれが最後までわからない。そのうえ物語は、放浪するオデュッセウス(マット・デイモン)、彼を待ちながら求婚者たちをもてなす宴会を続ける王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)、父の行方を知るために旅をするテレマコス(トム・ホランド)の現在から、彼らの回想や人に聞く話の想起という形で展開するから、いつのことなのかわかりにくい。
それにしてもトロイの木馬にはびっくりした。城の庭に置かれた木馬の内部にオデュッセウスを始めとした兵隊たちがぎっしりと待機して、逆さにされても持ちこたえる。深夜にぞろりと出てきて、城の門を壊して攻め込む。あるいは単眼の巨人が突如現れて、兵隊を食べてゆくシーンは怖かった。そして航海での嵐や荒波の迫力。部下はどんどん減ってゆく。
最後に乞食の姿で自分の宮殿に帰ってきて、求婚者たちを次々になぎ倒してゆく爽快さといったら。それでも最後の勝利はあえて地味な形で見せる。この渋さがノーラン監督だろう。
しかしながら、例えば『オッペンハイマー』に比べたら主人公の人物像はずいぶん平板に思えた。ペネロペもただ待つだけだし、放浪中に彼を慰める女神カリプソ(シャリーズ・セロン)もいつも同じ。
私には今回は「一回休み」に思えた。そういえば劇場で私の真ん前の若いカップルが始まって10分頃からスマホを見始めた。どうもあらすじを確認しているようだ。注意したら止めたのでよかったが、「怒られちゃったね」と笑っていた。後ろから頭を殴ろうかと思ったが、さすがにやめた。
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