連れだって歩く人々
3月末は大学は春休みで桜の花見もあって、自宅の周辺をよく歩いた。住んでいるマンションは現在、改装工事中で、中にいると暗いし物音がするしで不快度が高い。そのうえ、万歩計を始めたこともあった。歩く、歩く。
3月末は大学は春休みで桜の花見もあって、自宅の周辺をよく歩いた。住んでいるマンションは現在、改装工事中で、中にいると暗いし物音がするしで不快度が高い。そのうえ、万歩計を始めたこともあった。歩く、歩く。
「今日はもう1万歩」などと言ってスマホを見せる人の気持ちがわからなかった。万歩計なんて、本当に暇な人のものだと思っていたが、何と私もハマってしまった。職場の毎年の健康診断結果をスマホで遡って見ることができるというので、深く考えずにアプリを入れたのがきっかけだった。
先日、学習院大学に中条省平さんの最終講義を聴きに行った。いわゆる最終講義にはほとんど行ったことがなく、数年前の早大の武田潔さん以来か。考えてみたら、お二人とも1984年夏から1年間の私のパリ留学中に知り合った。
島崎今日子著『ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒』をようやく読んだ。『週刊文春』の連載の時に気になったので1年以上前に買っていたが、そのまま放っておいた。ジュリーという存在は、私にとってはどこかピンと来なかったからかもしれない。
このブログが便利なのは、あとから自分がいつ何をしたかがわかること。ちょうど日記や手帳を見るように、見た映画や展覧会、読んだ本などがいつなのか、ほぼわかる。この歳になると見た映画さえもさっぱり忘れてしまうから、自分でブログ内検索をすることも多い。
上映中の吉田大八監督の映画『敵』の主人公は私のようだ、と何度か言われた。私は東京国際映画祭で見たが、確かに「元大学教授」という設定で、かつての教え子の美女や若い女性に妄想をする姿はいかにも私にありそうだ。そのうえ、その教授の専門は「フランス演劇」で、時々フランス語の原書を読むところなどもちょっと近い。
母の七回忌で九州の実家に帰った。実家といっても両親亡き後に姉夫婦が住んでいる家で、そうなるともはや「自分の家」という感じはだんだん薄れてきた。少し時間があったので、家の周囲を散歩してみた。
不思議なことに、年末になると「ああ今年も終わりだ」と思う。今年はどんな年だったか考える。かつては年賀状を書くという行為があった。一年前に来た年賀状を読みながら住所、名前を書いて、さらに一言書いた。長年会っていないと書くことがなく、思い悩む。
昨朝の「朝日」で高階秀爾さんの追悼記事を神戸大学教授の宮下規久朗さんが書いていて、あっと驚いた。宮下氏は東大の高階氏の教え子だし、彼の近年の旺盛な著作活動からして普通に言えば何も異存はないはずだが、個人的におかしかった。
9月22日に書いたように、増毛のクリニックに行って薬をもらってきたが、それから2ヵ月半が過ぎた。今日はとりあえずの「途中経過」を書こうと思う。最初、先方から提案された一番確実なプランというのは、年間140万円ほどだった。
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