イスタンブール残像:その(5)
オルハン・パムクは『イスタンブール 思い出とこの町』で「ヒュズン」についてこう語る。「わたしの出発点は、曇った窓を見ているとき、ある子どもの感じる感情であった。今ヒュズンをメランコリと区別しよう。一人の人間の感じるメランコリに対してではなく、何百万もの人間がともに感じるあの暗い感情、ヒュズンに近づこうとしている。町全体の、イスタンブールのヒュズンを語ろうとしている」
オルハン・パムクは『イスタンブール 思い出とこの町』で「ヒュズン」についてこう語る。「わたしの出発点は、曇った窓を見ているとき、ある子どもの感じる感情であった。今ヒュズンをメランコリと区別しよう。一人の人間の感じるメランコリに対してではなく、何百万もの人間がともに感じるあの暗い感情、ヒュズンに近づこうとしている。町全体の、イスタンブールのヒュズンを語ろうとしている」
さてここで、(1)に書いたボスポラス海峡のあちこちにはためいていた巨大な赤いトルコの国旗について考えたい。私が察するに、あれは現在のエルドアン大統領の方針ではないか。愛国心を高めるために、国の機関のあちこちに立てているとしか思えない。
先日引用した小笠原弘幸著『オスマン帝国』の中で驚くべきは、「36代に及ぶ歴代君主のうち、トルコ系の生母を持った君主は初期の数例に過ぎない」という部分ではないか。普通なら、外国人の母親で大丈夫なのかと思う。
オルハン・パムク『イスタンブール』や小笠原弘幸『ケマル・アタチュルク』を読んで個人的に一番驚いたのは、600年間続いたオスマン帝国が、意外に異教徒や外国人に開かれたコスモポリタンな国だったということだ。
もう帰国して1週間が過ぎたのに、どうも頭の中でイスタンブールが巡っている。一番印象に残っているイメージは、ボスポラス海峡巡りの観光船から何本か見えた相当に大きな赤いトルコの国旗だった。
辻田希世子さんの『ヴェネツィアの家族』がどうも頭に残っているので、もう一度書く。辻田さんは子連れで日本に帰国したが、義父母は毎夏会いに来てくれたという。「それは子どもが小学校高学年になるまで続いた」
出たばかりの辻田希世子著『ヴェネツィアの家族』を読んだ。著者は知り合いで、ネットに少しずつ書いていたのを半分くらいは読んでいたが、読み通すとまた違う感じがあって、何度か泣いてしまった。
新書の柏原光太郎著『東京いい店 はやる店 バブル前夜からコロナ後まで』を読んだ。書店で見つけて著者が私と同世代で出版社勤務なので、似たような体験をしているだろうと思ったから。私は20年以上会社員をやったが、一応「グルメ」ということになっていた。
前田啓介著『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』をようやく読んだ。抜群におもしろい。1月に出版されて話題になっていたが、どうも読む気が起こらなかったのはなぜだろうか。
自宅近くの名書店「かもめブックス」で見つけた『キャラメル工場から 佐多稲子傑作短編集』がおもしろかった。なぜ買ったかというと、「佐久間文子編」と書かれていたから。佐久間さんは昔、私の短い記者時代の同僚だった。
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