<?xml version="1.0" encoding="utf-8"?>

<rdf:RDF
  xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
  xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
  xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
  xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
  xmlns:cc="http://web.resource.org/cc/"
  xmlns="http://purl.org/rss/1.0/">

<channel rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/">
<title>そして、人生も映画も続く</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/</link>
<description>古賀太のブログ（旧：闘いの後の風景）</description>
<dc:language>ja-JP</dc:language>
<dc:creator></dc:creator>
<dc:date>2026-06-17T07:17:00+09:00</dc:date>


<items>
<rdf:Seq><rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-5f819c.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-b53526.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-b0a5e6.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-c51a7b.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-8059b1.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-633659.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-9d2065.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-7b62ec.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-8cee8f.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-bb3008.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-808030.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-c63c97.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-4022f8.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-1f4f9f.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-231d8a.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-0e1839.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-ff7c6a.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-ce019c.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-c664f3.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-7f057c.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-536b9e.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-d7f739.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-3a6756.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-96d08b.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-84c595.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-b47481.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-d0381f.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-572840.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-bcc296.html" />
<rdf:li rdf:resource="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-fe256e.html" />
</rdf:Seq>
</items>

</channel>

<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-5f819c.html">
<title>辻仁成からレーモン・オリヴィエへ</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-5f819c.html</link>
<description>私は食べることが好きだ。居酒屋やレストランで食べるのも好きだし、自分で作るのも楽...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>私は食べることが好きだ。居酒屋やレストランで食べるのも好きだし、自分で作るのも楽しい。料理の本もよく買ってきては、自分で作る場合を考えながら読む。「これなら作れる」とか「これは材料が揃わない」とか言いながら。</p>]]><![CDATA[<p>パリに住む作家の辻仁成『父ちゃんの料理教室』が、カラー写真入り文庫で900円台なので買ってきた。彼の小説はたぶん１冊読んだし、監督した映画も１本見たけど、ちょっと苦手と思っていた。ましてや「父ちゃんの」なので、中山美穂と別れた後に息子と一緒に料理を作っている姿が目に浮かんで少し引いたけれど。</p>
<p>けれど、パリに住みながら日本の男がどんなフランス料理を作るかには興味があった。読んで見たら意外に普通というか、特に高い食材を使っているわけでもなく、日本人が好きそうなフランス料理のドカンとしたメイン料理が並んでいる。</p>
<p>一番最初にある「フランス風イカめし」は、米でなくてもパスタでもいいと書いてある。オリーブ油に潰したニンニクとアンチョビを鍋に入れて、切ったイカを混ぜる。白ワインを混ぜてそこにトマトの缶詰を入れるだけ。あとはパスタか米にかける。それだけだが、これが抜群にうまい。</p>
<p>「どうだ、いい香りだろ？　ニンニクとアンチョビのたまらん香りだ」と書かれている通り。「あ、パスタゆでるの忘れてるじゃん。あはは、それは君の仕事だ。パパは窓からあの日の空を見上げているから、ゆで上がったら、教えてくれ」。このあたりが彼らしいが。</p>
<p>そのほかやってみた料理はいくつかあるが、一番おもしろかったのは「サーモンのパイ包み」。私はパイ包みが好きだが、自分で作ったことはなかった。なぜならパイ生地を作るのは面倒そうだから。この本では冷凍パイシートを使うと書いてあり、「キッシュ・ロレーヌ」のところに「ピカール（冷凍食品専門店）で買ったものを使う」「もうこの冷凍のパイシートが便利すぎちゃって」</p>
<p>自宅から歩いて15分ほどのところにピカールの店があった。そこに行ってパイシートを買った。そして長ネギとほうれん草を炒め、小麦粉にバターと牛乳となぜか味噌を入れてベシャメルソースを作った。冷凍から冷蔵に移しておいたパイシートを伸ばして書かれた通りに切れ目を入れてそこに大きなサーモンを置き、ほうれん草などを加えて魚型に包み込む。</p>
<p>「20分前後でサクサクジューシーなサーモンのパイ包みが出来上がるよ。オーブンから取り出す時の、わお～！という顔が最高だね」。確かにこれは簡単で満足度が高い。</p>
<p>もう一冊レーモン・オリヴィエの『コクトーの食卓』はパリに今もある名店「ル・グラン・ヴェフール」の昔のシェフのレシピだが、これは全く参考にならなかった。ジャン・コクトーの挿絵と共に美しい文庫だけれど。ここは昔、ギィ・マルタンが３つ星を取ったばかりの頃にジャン・ドゥーシェに連れて行ってもらった。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>グルメ・クッキング</dc:subject>
<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>
<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-06-17T07:17:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-b53526.html">
<title>あっと驚く『シラート』</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-b53526.html</link>
<description>スペインのオリベル・ラシュ監督の『シラート』を劇場で見た。あっと驚く展開で、まさ...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>スペインのオリベル・ラシュ監督の『シラート』を劇場で見た。あっと驚く展開で、まさかまさかと続いてゆく。もともとこのブログではネタばれはあまり気にしていないが（映画はネタではないので）、今回はこの展開を書かないと論じることは無理なので書く。ネタが好きな人は読まない方がいいかも。</p>]]><![CDATA[<p>いきなり数百人が踊る野外のレイブパーティのシーンから始まる。見ている観客の体まで揺れるような大音響は、映画館で見ないとわからないだろうと思う。踊っている多種多様な人々はいかにもこの種のイベントに慣れた感じで、思い思いに楽しそうに体を動かす。</p>
<p>ところがそこに現れた父親ルイスと10歳ほどの息子エステバンは、まったくその場に似合わない。彼らはレイブパーティーに行くと言っていなくなった娘を探しており、顔写真入りのチラシを配って回る。しかしみんな首をかしげるばかり。それでもチラシを持たせて、また聞いて回る。</p>
<p>そこはモロッコの荒野で、次のパーティは砂漠の中らしい。みんなは踊りながら移動を始めるが、突然軍隊がやってきて中止させられる。一斉に解散して散り散りになるが、数名は２台の大型車にスピーカーなどを積んで逃げ出す。親子も車で後を追う。何のために、そしてどこに行くのか。</p>
<p>川を渡ったり、崖を登ったり、いったいどこに行くのか、何のために行くのかわからない。大型車２台には30代から40代の男３人、女２人が乗っていて、親子は次第に仲良くなっていく。ところがそこから突然に悲劇の連鎖が始まる。</p>
<p>息子を車に残して男女と話していたルイスは、息子の乗った車が急にバックし始めて坂道を下り、崖から落ちてしまうのを見る。嘆き悲しむルイスを男女は慰め、さらに先へと進む。するといつのまにか地雷原に迷い込み、男女が次々に地雷を踏んで飛び散ってしまう。</p>
<p>生き残ったのはルイスと２人の男女。ラストには彼ら３人がどうにか列車にたどりついて、乗り込んだ姿が写る。いったい彼らは何のために旅に出たのか、そもそも親子の探す娘の行方は最後まで手がかりさえ見えない。なぜか悲劇に向かって突き進む姿は、まるで人類の終わりのようでもある。</p>
<p>サスペンスでもなく、アクションでもない。かといって、アントニオーニのような不条理劇とも違う。期待を裏切り続ける衝撃が続き、途方に暮れる。これをおもしろいと考える映画好きがいるのはわかるけれど、私にはどうしても悪趣味に思えた。とりあえず予想外のヒットと聞いた。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-06-15T07:20:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-b0a5e6.html">
<title>スマホの魔力</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-b0a5e6.html</link>
<description>地下鉄に乗ると、周囲が全員スマホを触っていることがある。チラリと見ると、男はゲー...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>地下鉄に乗ると、周囲が全員スマホを触っていることがある。チラリと見ると、男はゲームが多く、女はSNSが多数。あるいは漫画やドラマも増えた。私は電車の中では急ぎで何かを確認する時以外は、スマホは触らない。本を取り出して読む姿は、ほぼ宇宙人かもしれない。</p>]]><![CDATA[<p>大学の授業でも50人を超す講義形式だともうダメで、みんな時々下を見てはスマホを触る。あるいはむしろ、スマホの合間に時々前を見ているという方が正確かもしれない。私が「どう思いますか」と言って学生を見ると、多くはキョトンとした顔を上げて何が起こったのかと周囲を見ている。</p>
<p>授業でDVDを見せる時には、私は短くても真っ暗にする。そうしないと集中できないと思うから。すると200人の授業で30個はスマホの明かりがきらめき、数秒後に真っ暗になる。授業を聞いていないから「今から映像を見せます」と言ってもダメで、暗くしてようやく気づく。</p>
<p>それから明るくして授業をする。10分後にまたDVDを見せようと暗くすると同じような数のスマホが光っている。たぶん数分でもスマホを見ないと落ち着かない者のだろう。明るくすると慌てて、あるいは嬉々としてスマホを叩く姿が、教壇から手に取るように見える。</p>
<p>私は「芸術を創作することを希望する者は、それではダメですよ」と根拠のあるような、ないようなことを言う。「落ち着いてものを考えられなくなりますよ」と。小さい頃からスマホを見続けると脳の機能が低下するというのは本当のようだが、20歳の若者はどうなのだろうか。</p>
<p>そんなことを学生に言う手前、私は意地でも人前ではスマホを触らない。たまに急ぎのメールを確認するくらいにしている。電車の中でも同じで、本を読むか、目をつむるか。最近疲れた時は駅が３つあれば眠ることができるようになったので、目を閉じることが増えた。</p>
<p>ところが、自宅に帰るとすぐにラインを見る。その後にフェイスブックやXを見る。特に最近はXの「おすすめ」に流れてくるものを見ることが多くなった。アルゴリズムで私が興味のある映画関係、大学関連、国際情勢のかなり興味深い情報が流れてくる。そのうえ、Grokによる自動翻訳もあるので、韓国語、中国語、アラビア語などの投稿もすぐに読める。</p>
<p>これはおもしろくて、読んでいるとすぐに５分が過ぎる。そのうえ毎秒ごとに世界中から新しい情報が来るから飽きない。ある時、大学の研究室でドアを開けてやっていたら、やって来た学生に「先生もスマホやってますねえ」と言われてしまった。</p>
<p>あと少しで65歳になるので、これを機会に「やはりスマホは見ない」を実行しようと思う。残された時間は少ないので、そんな場合ではないはず。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-06-13T08:42:11+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-c51a7b.html">
<title>『箱の中の羊』の微妙さ</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-c51a7b.html</link>
<description>是枝裕和監督の『箱の中の羊』を劇場で見た。カンヌの評論家たちの「星取表」で最低に...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>是枝裕和監督の『箱の中の羊』を劇場で見た。カンヌの評論家たちの「星取表」で最低に近いくらい評判が悪かった作品だが、ならばなおさら見たいと思った。そもそも映画祭の「星取表」はあまり当てにならないし。</p>]]><![CDATA[<p>見てみると、確かに「弱い」。是枝監督はさまざまな形で見る者をグイと映画内に引き込むのがうまい。『誰も知らない』は、何をするかわからない子供たちの行動から目が離せなくなったし、『歩いても歩いても』はどこにたどりつくかわからない家族の会話が抜群におもしろかった。</p>
<p>ところが『空気人形』や『奇跡』などは、見ていてどこに焦点を定めていいかわからなかった。今回の『箱の中の羊』もちょっとそんな感じがした。冒頭に出てくるように近未来社会が舞台で、建築家の音々が住むカッコいい住宅にドローンで荷物が届く。開けてみると７歳で亡くなった息子の翔のヒューマノイドが出てきた。</p>
<p>夫は工務店社長で木の材質にこだわった建築を手掛ける。妻は近くの空き地に建てる戸建ての設計をしている。妻はすぐにヒューマノイドになじむが、夫は最初は躊躇している。ところがだんだんなじんで愛情が沸いてくる。</p>
<p>ヒューマイドは食べないし、風呂にも入らない。けれど過去のデータをきちんと日常の会話には困らないし夫婦はだんだん楽しくなってくる。一方で息子のヒューマノイドは同じヒューマノイドの仲間たちと会って交流を深める。</p>
<p>話の展開はうまいし、撮影も実にいい感じなのだが、そもそも妻を演じる綾瀬はるかが、どうしても建築家に見えない。夫を演じる大悟の工務店はいいが、２人が夫婦には見えない。朝から納豆をすする大悟と綾瀬のたたずまいのどこにも愛が感じられない。そして妻が設計したであろう自宅が、あまりにも現実離れしている。</p>
<p>確かに本当に死んだ人間の代わりになるヒューマノイドができたら、本当にこんな社会になるかもしれない。そんなちょっと恐ろしい世界を巧みに描いているとは思う。しかしつややか過ぎる音楽が気になるのも含めて、私はどこか冷めた目で見ていた。次の作品に期待したい。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-06-11T09:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-8059b1.html">
<title>久しぶりの名古屋</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-8059b1.html</link>
<description>所属する学会の大会に出席するために、久しぶりに名古屋に行った。1990年代にはた...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>所属する学会の大会に出席するために、久しぶりに名古屋に行った。1990年代にはたぶん６、７回は行ったと思う。愛知芸術文化センターの美術館で展覧会をやったり、同センターの映像ホールでジョルジュ・メリエス作品約80本を上映したり。あるいは名古屋市美術館や松坂屋美術館に打ち合わせに行った。</p>]]><![CDATA[<p>泊まるのはいつも栄の東急ホテルだった。愛知芸文センターに歩いていけるからだが、慣れたホテルが安心なので今回も泊まった。その後名古屋に行ったのは2019年に日帰りで「あいちトリエンナーレ」を見に行った時のみではないか。</p>
<p>たぶん30年ぶりに東急ホテルに泊まって、戸惑った。栄のあたりに新しいビルが建ち過ぎて、方向感覚が全く失われてしまった。地下鉄栄駅からホテルまでの行き方がわからないし、目をつぶっても行けると思った愛知芸文センターはスマホの位置情報でようやくたどり着いた。</p>
<p>ホテルの周りにあったきしめんや名古屋コーチンの店もみんなビルになって跡形もない。とりあえず有名という「いば昇」で「ひつまぶし」を食べた。考えてみたら名古屋でちゃんと観光をしたことがなかった。まずは徳川美術館に行って武具や刀剣、能舞台や書院造の再現を見た。そこでは「豊臣兄弟！」の展覧会もやっていた。</p>
<p>徳川美術館の隣には徳川園という広大な公園があって、気持ちがいい。しばらく休憩して再び遠い地下鉄駅まで歩こうと思ったら、目の前にバスがあったので乗り込む。それは名古屋城まで行くとのことでついでに行った。</p>
<p>名古屋城も行ったことがなかった。16時を過ぎていたので城の中には入れなかったが、本丸御殿や天守閣などなかなか壮観で気持ちのいい時間を過ごすことができた。それから翌日熱田神宮にも行ってみた。こちらはどこにでもある大きな「お宮」という感じで、結婚式がいくつも進行中だった。</p>
<p>もちろん学会にも行って10くらい発表を聞いたが、２つを除くとかなり退屈した。昔はもっと刺激があった記憶があるが。私がもはや学会発表に興味をなくしたか、あるいは本当に発表がつまらなくなったのかはわからない。</p>
<p>５月末の快適な季節だったせいか、私には今回の名古屋は楽しかった。道路も歩道も広くて歩くのが気持ちいい。ホテルの朝食は4000円というので、近所の喫茶店に行ったが、小豆あんこやクリームのついたトーストもコーヒーも最高だった。夜には10年以上前に卒業した教え子と再会した。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>旅行・地域</dc:subject>
<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-06-09T07:43:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-633659.html">
<title>『霧のごとく』の重さ</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-633659.html</link>
<description>台湾の陳玉勲（チュン・ユーシュン）監督の『霧のごとく』を劇場で見た。この監督は『...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>台湾の陳玉勲（チュン・ユーシュン）監督の『霧のごとく』を劇場で見た。この監督は『１秒先の彼女』のふざけ具合がどうも合わなかったのでどうしようかと思っていたが、信頼する評論家が２度見たと書いていたので見に行った。</p>]]><![CDATA[<p>「民国42年」という文字が出て、1953年の字幕が入る。少女は畑の中に隠れる兄に食事を届ける。兄は少女に時計を渡して未来の話をするが、警察に襲撃されて捕らえられる。それからしばらくして少女、阿月（アゲー）は兄が台北で銃殺刑に処されたことを知り、その遺体を取りに嘉儀から台北に行く。</p>
<p>そこには貧しい人々と豊かな人々が混在し、警察の弾圧に耐えながら生きていた。阿月はまず売り飛ばされそうになり、それを助けてくれた人力車を引く趙公道（ザオ・ゴンダオ）と仲良くなる。実は公道は広州から来た元軍人で、警察に追われる身だった。</p>
<p>公道を追う警察の幹部は金持ちの未亡人と仲良くしていた。公道はその幹部を刺し殺そうとするが、相手はピストルを使って逃げようとする。公道は逮捕されるが、何とか阿月を守ろうとする。</p>
<p>阿月は幼い頃に別れた年の離れた姉と再会する。姉はダンサーとして活躍しており、阿月と共に弟の遺体を探す。電報では極楽葬場にあるとのことだったが、病院の実験用に回っていた。姉妹はプールのような中に浮いていた多くの遺体の中から何とか兄弟を探し出す。</p>
<p>そんな1950年代台北の恐ろしい「白色テロ」の重い日々が、サスペンスやアクションの中にユーモアとメロドラマを交えて描かれる。そして終盤、後日談が描かれ、娘や孫を連れた阿月が病院に現れる。そこでの再会に思わず涙した。</p>
<p>台湾で戒厳令が解除されるのは1987年のことだ。この「白色テロ」の時代を背景にして描いた侯孝賢の『悲情城市』が89年、楊徳昌（エドワード・ヤン）の『<span lang="ja" dir="ltr"><span class="mw-page-title-main">牯嶺街</span></span>少年殺人事件』が91年である。『非情城市』に感動した私は90年に台湾各地を旅行したが、戒厳令のことなど考えもしなかった。</p>
<p>この映画には、台湾を50年近く覆った暗黒の歴史を正視しようとする真摯な思いがあり、これが日本人の心をも打つ。公開から一か月たって１日１回の朝の上映で、ネトフリでは配信も始まったというのに、劇場は満杯だった。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-06-07T09:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-9d2065.html">
<title>金子修介『無能助監督日記』を読む</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-9d2065.html</link>
<description>金子修介監督はデビュー作の『宇能鴻一郎の　濡れて打つ』（1984）を公開時に見て...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>金子修介監督はデビュー作の『宇能鴻一郎の　濡れて打つ』（1984）を公開時に見てから何本かは見ている。10年ほど前に一度だけ本人とほんのちょっと会ったが、イメージ通りの優しそうな方だった。さて、今回彼の『無能助監督日記』を読んだのは、どこかネットでこの本をほめていた文章があったから。</p>]]><![CDATA[<p>これが1978年に大学を卒業して日活に入って助監督となり、84年に初監督作品を作るまでの６年間の助監督生活を、当時の日記をもとに再現したもので、何とも微笑ましいというか、日活ロマンポルノの製作現場はこうだったのかと手に取るようにわかる。</p>
<p>読み終えて正直な感想は「うらやましい」。私は学生時代の時になぜか映画にはまり、仕事にしたいと思った。日活はロマンポルノが話題で、神代辰巳や田中登のような監督がかなり前衛的な映画を作っていたし、根岸吉太郎や森田芳光のような若手も活躍していた。</p>
<p>とにかく当時は助監督採用をしているのが日活だけで、東宝や松竹にいくと「事務員になる」という話だった。しかし私が病気と留学で大学を２年遅れて卒業する頃には日活の助監督採用は終わっていた。そこで私は「シネセゾン」に入って外国映画を配給しようと西武百貨店を受けて採用されたが、結局行かなかった。</p>
<p>私よりわずか６歳上のこの著者が東京学芸大学を卒業した時は、まだロマンポルノは健在だった。２次の面接で自分が作った８㎜映画を上映しようと映写機を持ち込むが、会場は明るくスクリーンもないので映画の筋を説明したという。すると採用通知が出たが、単位が足らずに経済学の先生に頼みに行って卒業。</p>
<p>中学生の弟は「お前の兄ちゃん、ポルノかよ」と言われると嫌がった。小学校の同級生の野田秀樹に電話したら、「「オマエ、日活受かって偉そうだぞ」と言われた低い声の響きを覚えている」。演劇好きにはすでに野田の名前は広まっていたという。</p>
<p>そして入社３日目に４期上、27歳の新人監督、根岸吉太郎のサード助監督に編入されて台本をもらう。『オリオンの殺意より　情事の方程式』のチーフが上垣保朗、セカンドが那須博之、カメラは森勝、プロデューサーは岡田裕という、今見たら実に豪華な陣容。</p>
<p>その次が田中登の『人妻集団暴行致死事件』のサードだから本当にうらやましい。出演は村田日出男、古尾谷雅人に黒沢のり子。「現在はタイトルも内容的にも通常の上映をするのは問題」らしい。</p>
<p>次は一般映画で日大生で２つ下の石井聰互が沢田幸弘と共同監督をする『高校大パニック』。石井とはその後も友達付き合いを続け、彼の結婚披露パーティーにも駆け付けた。私は今になって「こんな20代を送りたかったなあ」と思う。</p>
<p> </p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>
<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-06-05T09:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-7b62ec.html">
<title>『サンキュー、チャック』のカール・セーガン</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-7b62ec.html</link>
<description>マイク・フラナガン監督の『サンキュー・チャック』を劇場で見た。ある男の人生をめぐ...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>マイク・フラナガン監督の『サンキュー・チャック』を劇場で見た。ある男の人生をめぐって時代を遡る映画とどこかで読んで見たくなった。スティーブン・キングの原作というのもあった。</p>]]><![CDATA[<p>これがなかなか楽しかった。第３章から始まり、最初は黒人の男性教師マーティが授業をしていると周囲で大変なことが起きていることに気づく。世界各地で地震、山火事、津波などが起きているようで、もちろんWIFIも通じなくなる。</p>
<p>どうも地球が終わりに近づいているようで、マーティは別れた恋人と連絡を取り、会おうと考える。そんな終末的世界に現れるのは「サンキュー、チャック」という奇妙なポスター。これが町中の看板にあったり、建物の壁に見えたり。世の終わりは近づき、マーティは恋人と最後の時を過ごす。</p>
<p>次に第２章が始まり、黒人の娘が路上でドラムを叩いている。ジュリアード音楽院に入ったが、方針が合わずにやめたらしい。そこに出くわすのが地方出張中のチャック。30歳ほどの会計士で会議に参加するために出張した合間に立ち寄る。そこでドラマに合わせて少しずつ踊り出す。</p>
<p>チャックは真面目なスーツ姿が仮の姿であったかのように、次第に軽やかに踊りまくる。娘の即興の演奏も乗りに乗って、まるで長年コンビを組んでいたかのように２人は波長を合わせて動き出す。まわりには次第に大きな人々の輪ができ始める。そしてもう１人の女性がダンスに加わる。チャックのダンスは祖母直伝だった。</p>
<p>第１章は少年時代のチャック。両親と妹を交通事故で亡くした10歳のチャックは、祖父母と古いヴィクトリア朝風の館に暮らしていた。祖母からはダンスを教わるが、祖父は数学に力を入れるように諭す。しかしパーティで踊り出したチャックは一挙に人気者に。祖父母が亡くなって17歳になったチャックは、祖父が秘密にしていた部屋に入る。</p>
<p>その頃、カール・セーガンの宇宙論が流行していた。地球の歴史の中で人類が登場したのはほんの最近、１年に例えたら12月だというやつで、これは日本でも私が大学に入った1980年に彼が監修した『コスモス』というテレビ番組と本が大流行していた。</p>
<p>最後の最後まで来て、ああ、これはすべてチャックの脳内の世界だったのかと悟る。つまり、平凡な男の人生にも無限の出会いと可能性があったことを見終わって考えることになる。何となくうますぎる構成だし、少し説教くさい作り物に騙された感じもするけれど、これまた映画の一つの楽しみか。２つのダンスシーンは本当に見ていて嬉しくなるし、カール・セーガンも懐かしかった。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-06-03T09:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-8cee8f.html">
<title>チュルリョーニスの魅惑</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/06/post-8cee8f.html</link>
<description>6月14日まで国立西洋美術館で開催のチュルリョーニスの個展を見た。このリトアニア...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>6月14日まで国立西洋美術館で開催のチュルリョーニスの個展を見た。このリトアニアの画家の個展はかつて池袋にあった西武美術館で見たはずだが、その時はもうセゾン美術館と呼んでいたかもしれない。</p>]]><![CDATA[<p>その時なぜ見たかと言えば、たぶんジョナス・メカスの映画を見てリトアニアに興味があったからだと思う。あるいは学生時代に行った利賀村の演劇祭で、リトアニアの演劇を見たからかもしれない。この国には何かある気がした。</p>
<p>今回見に行って、まず彼が音楽家だったことに驚いた。かつての個展でも触れていたに違いないが、覚えていない。リトアニア生まれでポーランドのワルシャワ音楽院で学び、さらにドイツのライプツィヒ音楽院にも行っている。その後にワルシャワの美術学校で絵を描く。</p>
<p>絵画の題名にも「ソナタ」や「プレリュード」などの音楽用語が並ぶ。時代は1900年から10年頃が中心で、描くのは象徴主義というか文学的なテーマのちょっと幻想的な内容だ。ポスターなどにも使われている《祭壇》（1909）は、上に行くほど小さくなる四角の箱が４つ積み上げられた建物がある。</p>
<p>その側面には古代エジプト風の絵が描かれている。祭壇のようだが、そこに人が住む宮殿のようでもある。一番上の箱からは煙が出ている。そしてその周りは砂漠のような大地が広がっている。そこには川の流れのようなものも見て取れる。</p>
<p>『祭壇』は昼間の寂しい光景だが、同じ年の『リトアニアの墓地』は夜。手前に墓石のようなものが並び、奥には不思議な形をした樹木が並ぶ。私には『祭壇』よりずっと楽しそうに見えた。まるで「ゲゲゲの鬼太郎」の歌の「夜は墓場で運動会！」のようだ。</p>
<p>こうした神話的象徴世界が最後まで続く。ほとんどの絵は小さいため、展覧会ではよく見えにくい。これはむしろカタログを買って家を楽しむべき展覧会かと思ったが、もはやカタログを置く場所が家にはない。今、ホームページを見ながら書いているが、その方が展覧会で見るよりよく見える気さえした。</p>
<p>この展覧会は80点ほどで小さいせいか、企画展示室ではもう一つ「北斎　冨嶽三十六景　井内コレクションより」という展覧会があった。こちらは見慣れたものばかりだが、やはり北斎はチュルリョーニスよりずっとメリハリがあって楽しい。</p>
<p>それから常設も駆け足で見た。こちらは年々新収蔵作品が増えて、本当に中世からルネサンス、バロック、ロマン主義、写実主義そして印象派までヨーロッパ絵画史が一望に見えるようになってきたと思う。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-06-01T09:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-bb3008.html">
<title>『廃用身』の恐ろしさ</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-bb3008.html</link>
<description>昨夏、久しぶりに出た小学校の同窓会で同級生O君と話したら、かなりの映画好きになっ...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>昨夏、久しぶりに出た小学校の同窓会で同級生O君と話したら、かなりの映画好きになっていた。その時に勧められた映画『ウォーフェア　戦地最前線』がよかったので、また彼のおススメの『廃用身』を見に行った。吉田光希監督の名前は聞いたことがあるが、１本も見ていない。</p>]]><![CDATA[<p>これがなかなか恐ろしい映画で、よくシネコンでやるなと驚いたくらい。題名の「廃用身」という言葉は知らなかったが、この映画の原作、久坂部羊の小説の題名として知られているようだ。それにしてもシネコンでやる映画の題名としてはちょっと異様な感じ。</p>
<p>その意味するところは、機能がマヒして無用となった手や足のこと。映画はデイ・ケアの院長が、ある患者の放っておくと危険な状態になった足を切断したのをきっかけに、通ってくる患者の不要な手足切断をどんどん進めるという話。</p>
<p>映画は六平直政演じる患者・岩上が豪邸に戻るところから始まる。車いすに乗った立派な体格の彼を、池に橋などがかかった庭を超えて運ぶには三人の大人が苦労して運ぶ。しかし自宅にいる妻や息子は彼を憎んでおり、息子は虐待までしていた。</p>
<p>ある日、石上が通うデイ・ケアの院長、漆原（染谷将太）は、化膿の進む右足の切断を石上に勧めた。悩んだ末に手術を受け入れたが、実際に片足がなくなってみると身軽になって気分がいい。周囲も喜んでいる。石上は治る見込みのないもう片足と左手の切断を自ら申し出る。</p>
<p>ポイントは漆原院長が強引に進めているわけではないこと。何度も確認をしたうえで丁寧に進める。そして知り合いの外科医につないで切断してもらう。右手だけになった石上は体調や顔色がよくなり、それをデイ・ケアのみんなが集まる会で報告し、喝采を浴びる。</p>
<p>漆沢は廃用身の切断を「Aケア」と名付けて推奨し始める。するとそこに通うほかの老人たちがみんなその気になる。切断を希望する者が何人も出てくる。ある女性は話すことのできなくなった夫を毎日そこに連れてくるが、また話がしたいと切断を申し出る。しかし手術を終えても夫は同じ状態だ。</p>
<p>結果としてはこれが週刊誌で報道されて大騒ぎになるが、映画は最後までクールに淡々と見せてゆく。岩上のその後など恐るべき現実を見せながらも残酷さは煽らない。サスペンスやホラーになりがちなところを、現実という一点で食い止めてリアルな細部を重ねることで見ている観客に迫ってくる。</p>
<p>私も、もし自分が車椅子の生活だったらと考えてしまった。テーマと脚本と演出がピタリと合っている感じ。あえて言えば、話を回す役割の出版社の編集者はいなくてもよかったかも。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-30T06:52:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-808030.html">
<title>『オールド・オーク』の正しさと『ラプソディ・ラプソディ』のいい加減さ</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-808030.html</link>
<description>ケン・ローチ監督の『オールド・オーク』を劇場で見た。３年前のカンヌのコンペに出た...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>ケン・ローチ監督の『オールド・オーク』を劇場で見た。３年前のカンヌのコンペに出た作品だが、買った配給会社の経営が難しくなって別の会社が配給したと聞いた。いずれにせよ、今年90歳の監督のおそらく最後の作品だろう。</p>]]><![CDATA[<p>もともとケン・ローチは直球の社会派で、恋愛や家族を含めながらも現代社会の矛盾を描き出し、改革を迫る。特に『わたしは、ダニエル・ブレイク』から『家族を想うとき』と本作の三部作はその社会的訴えが直接的になってきた。</p>
<p>今回は寂れた炭鉱の町が舞台で、TJはそこで唯一のバー「オールド・オーク」を経営している。冒頭から町が受け入れ始めたシリア難民をめぐる議論が始まり、それが白黒の写真で示される。ある男がカメラを叩くとカラーになり、女性のカメラが壊されたことがわかる。</p>
<p>カメラを壊されたのはシリア難民の女性だった。常連客達はバーの奥にある閉ざされた部屋で移民受け入れ反対集会をしたいとTJに申し入れる。TJは危険だと断るが、難民向けの無料食堂のためには無理をして貸すことにした。常連たちの怒りは爆発する。最後は何となく和解した形で終わり、ほっと一安心。</p>
<p>日曜午後の劇場は完全に満席だった。たぶん、今の「日本人ファースト」的な社会の雰囲気に危機感を抱いている人々が押しかけたのではないか。このような層が相当数いることを具体的に感じられてよかった。</p>
<p>利重剛監督の『ラプソディ・ラプソディ』は現代のもう１つの面を見せてくれる。幹夫（高橋一生）は、ある時戸籍を取りに行って自分が見知らぬ女と結婚していることを知る。その相手を探し出すと花屋の店員の繁子だった。繁子は精神的に不安定で「結婚すれば頑張れると思った」ので勝手に籍を入れていた。</p>
<p>そんな繁子に幹夫は怒らない。生活に困った彼女に自分との同居を勧めさえする。繁子は幹夫を振り回すが、幹夫は決して怒らない。そんな幹夫には叔父がいて見守っているが、それを演じているのが監督の利重剛。そのせいか、３人のやり取りは見ているだけでおかしい。今の日本ならあるかもと思ってしまう。</p>
<p>ケン・ローチの見せる正しさも、利重剛が展開するいい加減さも、どちらも必要なのが現代なのだろう。こちらはガラガラだった。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-28T09:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-c63c97.html">
<title>なぜ「映画史」ではなく「映画誌」か</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-c63c97.html</link>
<description>四方田犬彦さんの新著『映画誌への招待』を読んだ。これは1998年に出した『映画史...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>四方田犬彦さんの新著『映画誌への招待』を読んだ。これは1998年に出した『映画史への招待』に書き足したもので、ほかの本の一部や学会発表が加わり、Ⅲ２「「映画史から「映画誌へ」が」が書き下ろし。</p>]]><![CDATA[<p>四方田さんは最近、肩書を「映画誌家」としている。通常は「映画史家」だけれどあえてそうしている。つまり「映画史」ではなく「映画誌」とのことだが、書き下ろしの章を読めばそれがわかるかと思った。</p>
<p>結論から言うと、私にはよくわからなかった。この言葉は中村桂子さんが著書に『生命誌とは何か』と題名を付けたことから来ているという。「人間と自然の間の関係を知る手立てとして」生命誌という新語を考案したという。</p>
<p>「映画の歴史とは、名作の歴史や技術の発展の歴史ではない」「映画はまず映画を作ってきた人の歴史である。だが同時にそれを真剣な思いで観てきた人の心象の歴史でもある」</p>
<p>「そこで思い切って「映画誌」という言葉を使い出すと、大草原を山頂から見下ろしているかのように、自分の射程が一気に拡がったような気持ちになった。「誌」とは雑多な植物が好き勝手に繁茂している草原である」</p>
<p>これは四方田氏によれば、映画が今やこれまでの映画とは全く別物になってしまったことと、東北大震災と原発事故が起きたことという２つの出来事が大きい。一つ目は映画館に集って見る形からビデオ、DVDとなり、配信が始まって映画館の文化が終わったことを指す。このことはよくわかる。もはや映画を見るために海外まで行った私の若き日々は、ほぼ冗談のようになった。</p>
<p>そして映画評論を誰も読まなくなる。「誰もが何でも発言することができる。だが誰もそれに耳を傾けようとせず、速度の魔に促されながら、いたずらに粗雑な情報の洪水のなかに溺れてゆく」。それはそうだが、だからといって「映画史」が「映画誌」になる必要があるのだろうか。</p>
<p>もうひとつの東北大震災についてはその後のいくつかの映画が分析されており、とりわけ『シン・ゴジラ』と『ゴジラ -1.0』を論じ、前者が「けっして回避できない日本の宙吊り状態を示すグロテスクな記号」であり、後者は「アメリカへの憎悪と怨恨を逸らすための囮の人形である」とする。</p>
<p>東北大震災が日本人の精神史にとっていかに重要かはわかるが、それと「映画誌」はどう関係があるのだろうか。これから自分でもゆっくり考えていきたい。</p>
<p> </p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>
<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-26T09:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-4022f8.html">
<title>『急に具合が悪くなる』のマジック</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-4022f8.html</link>
<description>カンヌで女優賞を受賞したので濱口竜介監督『急に具合が悪くなる』について書きたい。...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>カンヌで女優賞を受賞したので濱口竜介監督『急に具合が悪くなる』について書きたい。6月19日公開だが、カンヌ前に試写で見ていた。今回は少し前に戻った気がした。『ハッピーアワー』とか『寝ても覚めても』のような、見ていると不思議なことに画面に吸い込まれてゆく感じがあった。ある種のマジックと言ったらいいのか。</p>]]><![CDATA[<p>ただし本作は全体の4/5はフランスが舞台で、フランス語が半分を超す。さてどう仕上がるのかと思ったが、少なくとも海外であるとかフランス語であることはほぼ関係ない感じで、長い会話の渦に自然に巻き込まれていった。</p>
<p>映画はパリ郊外の介護施設で始まる。そこではマリー＝ルー（ヴィルジニー・エフィラ）が若い男性介護士に入居者をできるだけ丁寧に扱うよう指導をしている。これは「ユマニチュード」という介護技術で、相手を最大限に人間として尊重して扱うものだ。しかし介護人や看護師の中には反対もあった。</p>
<p>ある時マリー＝ルーは発達障害の日本人の青年（黒崎煌代）と出会う。彼を探していたその祖父の吾朗（長塚京三）と舞台演出家の真理（岡本多緒）と知り合い、数日後に真理が演出する吾朗の一人芝居を見に行くことになる。</p>
<p>舞台の後のQ＆Aでマリー＝ルーは真理に質問して意気投合し、二人は劇場の外でもさらに会う。マリー＝ルーは東京で文化人類学を学んだ後に介護の仕事をしており、真理はパリで哲学を学んで舞台演出家となった。</p>
<p>２人が川のそばを歩くうちにだんだんと日が暮れる。さらにマリー＝ルーの部屋で２人は話す。この長い長い会話のあたりから、完全に映画の波に取り込まれてしまう。二人は資本主義社会がいかに人間を阻害し、自然を破壊するかをいつまでも話す。真理は黒板に書いて説明する。</p>
<p>それから真理は「急に具合が悪くなる」。それでも２人は一緒に生きてゆく。真理の哲学と演劇の中身が、マリー＝ルーの介護の思想と絡み合い、２人の会話は無限に続く。</p>
<p>日本とフランスの女性二人がそれぞれの言葉を混ぜ合わせながら知的な会話をし、それを実際の行動に移してゆく。こんなありえないようなことがどうしてこんなに感動的なのか。ましてや介護のようないかにも人道的なドラマになりそうな場面が、そうでない形でなぜか自然に涙を誘う。</p>
<p>二人の女性を演じる俳優たちが、まさに自分の身体そのもので役を引き受けている感じが圧巻で女優賞は納得。長塚京三やマリー＝ルーの同僚など男たちも気持ちいい。驚異の3時間16分で、これは落ち着いてもう１度見たい。</p>
<p>これまで日本の監督がフランスで撮影すると、なぜかカンヌには選ばれなかった。黒沢清、是枝裕和、諏訪敦弘などみんなそうだった。濱口作品はその「壁」を超えてコンペに選ばれて賞まで取った。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-24T07:46:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-1f4f9f.html">
<title>『暖流』が見せる松竹大船の底力</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-1f4f9f.html</link>
<description>少し前のことになるが、国立映画アーカイブの「発掘された映画たち」で吉村公三郎監督...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>少し前のことになるが、国立映画アーカイブの「発掘された映画たち」で吉村公三郎監督の『暖流』最長版を見た。これは1939年の初公開時は前後扁２部作・177分だったが、戦後に再編集された124分の短縮版が流通しており、私もそれを見ている。どこかにDVDも持っている。</p>]]><![CDATA[<p>ところが169分の16㎜が最近発見され、アーカイブで35㎜に起こしたという。これを見ようと行ってみたら、上映前の大澤浄・主任研究員の解説で、さらに長いバージョンを上映するとわかった。まず戦後の短縮版以外に132分の英語字幕版が1941年に国際文化振興会によって作られた。</p>
<p>私の考えでは、これは1939年のベネチア国際映画祭で好評だったので海外に輸入しようとしたはずだ。会場にいた戦時下の中国における日本映画の上映に詳しいアン・ニさんは、上海で上映されたのはこの英語字幕版だと私に言った。</p>
<p>さて国立映画アーカイブで実際に上映されたのは、チラシの169分ではなく、173分だった。大澤浄さんはこれが短縮版と英語字幕版と16㎜版から最良の部分を選んだデジタル復元版だと説明した。彼によれば16㎜版は画質が悪いので、上映の１か月前にすべてを足して編集しようということになった。</p>
<p>これを外注すると費用が数百万はかかるので、アーカイブ内でデジタルに落とし、デジタル上で作り上げたという。確かに16㎜の部分は状態がよくない。本当に音が聞こえにくい場面には字幕を入れるという配慮まであった。もちろん時間とお金があれば、16㎜部分の画面の傷や雑音を消すことが可能だったろうが。</p>
<p>ではどこが増えたのかと言えば、一つは坂本武演じる大阪の薬問屋・相良が出るシーンで、一度は佐分利信演じる主人公・日疋が相良の滞在する旅館で返済を遅らせてもらい、終盤には相良の住む大阪に行って病院に出資をしてもらう。人の良さそうな坂本武の表情がいい。</p>
<p>もう１つは終盤に出てくる河村黎吉演じる煙山弁護士のシーンで、あのいかにも怪しそうな河村黎吉が院長の息子が日疋を訴えた件を話す。この２人の脇役のシーンはどちらもなくても話は通じるが、やはり松竹大船の名脇役２人が出てくるだけで盛り上がる。実際に河村黎吉が出てきた時は、どっと笑いの声があがった。</p>
<p>脇役と言えば院長のバカ息子を演じる志摩孝彦を演じる斎藤達雄も最高だった。あるいは病院事務長・糸田役の日守新一はいかにも底の浅い日和見の男がピッタリ。そして高峰三枝子の許嫁でありながら、最後に振られてしまうかわいそうな外科部長の徳大寺新がかっこばかりつける中身のない男でお見事。</p>
<p>もちろん主役の佐分利信と高峰三枝子、水戸光子の渾身のぶつかり合いがあっての映画ではあるが、全体としてはヴィヴァルディやショパンやチャイコフスキーの名曲をふんだんに使った音楽も含めて俗っぽいが実にドラマチックな映画の仕立てに、松竹大船の名優たちがぴったり合っている印象を受けた。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-22T09:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-231d8a.html">
<title>『爆弾犯の娘』を読む</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-231d8a.html</link>
<description>梶原阿貴著『爆弾犯の娘』をようやく読んだ。私はもともと学生運動の話が好きで、19...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>梶原阿貴著『爆弾犯の娘』をようやく読んだ。私はもともと学生運動の話が好きで、1968年の日大や東大の闘争のみならず、あさま山荘事件もよど号事件も三菱重工爆破事件も気になる。三菱事件は韓国の女性監督が撮った『狼をさがして』というドキュメンタリーを見たし、桐島聡が名乗り出た直後に死んだ時は妙に興奮した。</p>]]><![CDATA[<p>だから、もちろん彼を主人公にした足立正夫監督の『逃走』も高橋伴明監督の『桐島です』も見てここに書いている。『爆弾犯の娘』の著者の梶原さんは『桐島です』の脚本を書いているので、読まないわけにはいかなかった。</p>
<p>実は彼女には１度宴席で会ったことがあるが、それはその前の脚本作品『夜明けまでバス停で』の受賞直後で、その時はこの本のような人生を歩んだことは全く知らなかった。私よりちょうど一回り若いが、この世代にこれほど「学生運動」がしみ込んでいることにまず驚いた。</p>
<p>小学生の「私」は池袋北口に住み、ひんぱんに引っ越した。「うちには人を連れてきてはいけないし、うちがどこにあるかも誰にも教えてはいけない」「これが我が家の掟だった」。父親は同居しているが、玄関に靴はなく、トイレの水も流さない。</p>
<p>「もう一つ、我が家には掟があった。枕元には各々のボストンバッグを置いておくこと。中には「大事なもの」が入っていて、何かあればすぐ逃げられるようにしてある。しかし何から逃げるのかは知らない」</p>
<p>「休みの日にはよく母と一緒に大量の餃子を作った」。ある時百個作ったら、そのうち85個くらいを父が食べてしまう。「なんだか無性に腹が立ったので、「働かざる者、食うべからず！」とあいつを指差して大きな声で言った。瞬間、母の張り手が飛んだ」。父は寝る前に「僕、いっぱい食べちゃうから、本当にごめんね」と言う。何とも微笑ましい。</p>
<p>ある日、母は大事な話があると言い、14年前の新聞記事を見せる。「お父さんはね、役者で爆弾犯なの」。そして初めて「梶原譲二」という父の名を知る。これが12歳、1985年の時だから驚く。そして交番で指名手配写真を見た。それからしばらくして父は家からいなくなった。翌日の新聞に「爆弾男梶原を逮捕」と見出し。</p>
<p>中学入学と同時に父の公判が始まる。母は父と入籍し、花小金井に引っ越し、飯能にある新しい中学校に通う。役者になりたいと言うと、母は若松孝二のところに連れてゆく。そして芸能事務所に入る。父の裁判が終わり、６年の懲役で静岡刑務所に行く。そこに母と行くが、新幹線を間違えて遅くなる。</p>
<p>そして1989年の秋、映画『櫻の園』のオーディションを受けて合格。それから出演が続き、高校三年生の時に父が出所。そして２年間の保護観察期間が終わると、両親は離婚して家族離散となった。梶原は脚本家を目指し、たどり着く。</p>
<p>2015年の夏、母の住む西伊豆の家に突然父がやってくる。そして再び住み始める。さて、父親が『桐島です』を見たかは書いていない。絶対に見たはずだが、どう思ったのだろうか。この本は以下の文章で終わる。</p>
<p>「（『桐島です』は）「五日で脚本を書いた」とドヤ顔で自慢気に言っていますが、これに要した時間は、五日ではなく私の人生五十年です」</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>
<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-20T08:57:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-0e1839.html">
<title>驚異のフラマルティーノ：続く</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-0e1839.html</link>
<description>先日書いたイタリア映画『地底への旅』（2021）の監督、ミケランジェロ・フラマル...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>先日書いたイタリア映画『地底への旅』（2021）の監督、ミケランジェロ・フラマルティーノは、長編はたったの３本しか作っていない。数年前に見た『四つのいのち』（2010）の前の長編デビュー作が『おくりもの』（2003）である。</p>]]><![CDATA[<p>これがまた驚異的な映画だ。３本見るとこの監督はすべて南部のカラブリアを舞台にしながらも１作ごとに全く異なる設えを作ることがわかるが、これはその基礎編ともいうべき作品。</p>
<p>暗闇で何やら犬や鶏の鳴き声が聞こえる。家の戸が少し開き、外から光が入る。中にいた老人は、外に出て歩き出す。犬がいるが、相当弱っているようだ。外には２人の少年がいて、老人に頼まれて働いているのか、老人はその１人に金を渡している。</p>
<p>ところが少年は携帯電話を老人の家に忘れていた。そのうえ、裸の男女が写っている写真の大判コピーも残されていた。時おり携帯は鳴るが、老人は出ない。時々写真を眺めている。</p>
<p>街には自転車に乗った若い女がいる。老人が理髪店で髪を切り、髭を剃ってもらう。そこには裸の女のポスターがあった。髭剃りが終わった頃に自転車の女がやってきて、入れ替わりに店に入る。主人は入口や窓を閉めた。</p>
<p>その女が自転車に乗っていると車に乗った中年男が声をかけ、自転車を車に積んで女を車内に引き込む。女は車内で男に押し倒されている。その後、女は老婆２人と家の中にいるのは非難されているのか。</p>
<p>街は丘の上に立つ。お祭りなのか楽隊がやってきて行進をしている。そして海にも近い。女は砂浜を歩いている。老人は鶏に餌をやる。突然コンピューターの前に会社員風の男がいて驚くが、郵便局だった。老人はお金を下ろし、一部を自宅のそばで少年に渡す。忘れていた携帯も。</p>
<p>ある時、女は老人の自宅にいた。服を脱いで胸をあらわにするが、老人は彼女の分のワインを注ぎ、パンを切って渡す。女は服を着てワインを飲む。老人は外に出て、少年たちが掘った穴に入る。このまま死んでゆくのか。</p>
<p>すべて固定ショットで撮られた老人の家も、丘の上の街も、道も海も海岸もすべてが澄みきった色調で、そこに犬や鶏や鳥の鳴き声、海の波の音、車や自転車の音などが絶えず混じりあう。もはや死ぬだけの老人が最後の日々を過ごす。そこにはなぜか若い女の影が付きまとう。これは夢か現実か。</p>
<p>驚異の監督、ミケランジェロ・フランマルチーノの３作品の上映が6月19日から始まる。ひょっとすると今年最大の事件かもしれない。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-18T07:28:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-ff7c6a.html">
<title>辻邦生と飯島正の展覧会</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-ff7c6a.html</link>
<description>画家や彫刻家ではなく、小説家や学者を扱った小さな展覧会を立て続けに２つ見た。一つ...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>画家や彫刻家ではなく、小説家や学者を扱った小さな展覧会を立て続けに２つ見た。一つは学習院ミュージアムで今日16日（土）まで開かれている「RE:辻邦生―いま、ふたたび作家に出会う」で、もう一つは早稲田大学中央図書館で明日17日（日）までの「飯島正、ある活動狂の面影」。</p>]]><![CDATA[<p>どちらも「ランカイ屋」（「展覧会屋」の略）の用語だと「ドキュメント展」、つまり絵画や彫刻を展示するのではなく、有名人に関わる遺品や資料を写真やパネル解説と共に見せるものだ。辻邦生（1925-99）は昨年に生誕百年を迎えたことから各地で展覧会が開かれ、その中心となった学習院大学のミュージアムで２回にわけて展覧会が開かれている。</p>
<p>辻邦生は有名な小説家だが、学習院大学のフランス文学科の教授として長年フランス文学を教えてきた。つまりフランス文学を学んでそれを教えながら、その成果を自ら小説を書いて実践していたことになる。私は改めてこの事実を確認しながら、自分のことを考えた。</p>
<p>私は高校時代に病気で長期入院して文学に目覚め、大学で文学部に行くことにした。高校生の時に好きだったのが北杜夫で『ドクトルマンボウ航海記』に始まって『楡家の人々』などを夢中で読んだ。そして彼の友人だった辻邦生を読んだ。『回廊にて』や『夏の砦』は大学に合格して１年間療養のために休学した時に読んだ。</p>
<p>ほかにも中村真一郎や福永武彦らの仏文出身の小説家が好きだったこともあって、文学部で２年生になって専門を選ぶときにフランス文学科を選んだ。この流れでいえば、フランス文学を学んで小説家を目指すべきだったが、私はいつのまにか蓮實重彦の文章に夢中になり、映画ばかり見るようになった。</p>
<p>映画を見ると、もはや辻邦生の小説はどうでもよくなった。というか映画はフランスばかりでなく、アメリカもドイツも日本も面白いので、ある種のコスモポリタンというか、「映画の共和国の市民」になった。</p>
<p>その意味では東大仏文に進みながら映画評論家になり、戦後は早稲田で映画を教えながら研究者となった飯島正（1902-96）も一つのモデルだった。私は仏文科の途中でパリに１年行き、帰国後卒業して早大の大学院に１年行った。まさに飯島が教えていた場所だったが、もちろん引退していた。当時はまだご健在だったが、会ったことはなかった。</p>
<p>この展覧会でおもしろかったのは、彼が戦後出した『フランス映画史』『イタリア映画史』『ヌーヴェル・ヴァーグの映画体系』などは、授業のために文章を書き、講義が終わると『キネマ旬報』の連載に回して、それを本にしたという説明だった。なんと効率のよいやり方だろう。実は私の最近の新書は少しそんなところがあって、連載はないが授業用のメモをそのまま本の文章に使っている。</p>
<p>２つの展覧会を見ながら、こんな風に自分のことばかり考えた。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-16T08:06:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-ce019c.html">
<title>イタリア映画祭も数本：続き</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-ce019c.html</link>
<description>先日書いた２本以外に見たのはベテランの３本で、リッカルド・ミラーニ『人生はそうい...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>先日書いた２本以外に見たのはベテランの３本で、リッカルド・ミラーニ『人生はそういうもの』、フェルザン・オズペテク『ダイヤモンド 私たちの衣装工房』、ジャンフランコ・ロージ『ポンペイ、雲の下に生きる』。</p>]]><![CDATA[<p>この順番に、一般受けしやすい作品からアート系の純度が高まってゆく。『人生はそういうもの』は、ミラノの一等地にオフィスを持つ大きなリゾート会社が、サルデーニャ島の羊飼い一人に反対される話。ディエゴ・アバタントゥーノ演じる社長はシチリア出身の社員マリアーノを現地に送り込む。</p>
<p>羊飼いのエフィジオは浜辺で牛の放牧をして暮らす。周囲は全員土地を売ったがエフィジオだけは拒み、娘も応援する。最初は1千万円ほどの金額を提案したのが10年後には数億になるが、エフィジオは応じない。それどころか道を塞がれたと会社を訴えて勝ってしまう。全体にパロディ調で社長も社員も島民もカリカチュアのように見せるが、肝心なところは情感たっぷりで最後はなかなか。これは公開可能ではないか。</p>
<p>『ダイアモンド』は、1970年代の映画や演劇の衣装を作る工房を舞台に、そこを経営する姉妹と働く20人ほどの女性たちの人間模様を描く。姉のアルベルタ（ルイーザ・ラニエリ）はかつての失恋を振り切るように仕事一筋で、妹のガブリエッラ（ジャズミン・トリンカ）は亡くなった娘の喪失を酒でまぎらわす。そしてそこで女たちはそれぞれが懸命に生きている。</p>
<p>18人の女たちのそれぞれのドラマにきちんと光を当てて飽きさせない演出は、さすがオズペテク監督。私はとりわけアルベルタにかつての恋人が突然訪ねてきた話に深く心を動かされた。男たちは、ステファノ・アッコルシ演じる劇中の映画監督も含めて、どうも存在感がない。</p>
<p>冒頭にこの映画の打ち合わせの現代のシーンが出てきて、監督の姿も見える。後半にも何度か出てくるメタ映画構造だ。ちょっと監督が出過ぎの気もしたが、女優たちへの愛情がたっぷり感じさせる円熟の秀作。これは6月19日公開。</p>
<p>『ポンペイ、雲の下に生きる』は、白黒の何とも渋いドキュメンタリー。火山に囲まれた都市ナポリで、現代を生きながらさまざまな形でナポリの過去と関わる人々が出てくる。国立考古学博物館で未整理の遺物を調査する研究者たち。遺跡に入る強盗を追跡する警察官たち。</p>
<p>東京大学の発掘チームは、新しい遺跡を少しずつ掘り出してゆく。消防署には地震や噴火の電話がひっきりなしに流れる。ナポリに到着したタンカーにはシリア人の船員たちがウクライナの小麦を船下ろしする。子供たちは塾で火山について学び。</p>
<p>それらの人々の映像が目まぐるしく行き来するが、なぜか退屈しない。むしろ人々が崇高な存在に見えてくる不思議。さすが天才ロージ監督だ。今秋公開。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-14T07:47:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-c664f3.html">
<title>『近現代歌集』とは</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-c664f3.html</link>
<description>例によって自宅近くの書店「かもめブックス」で買ったのが、文庫の穂村弘編『近現代短...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>例によって自宅近くの書店「かもめブックス」で買ったのが、文庫の穂村弘編『近現代短歌』。この編者はエッセーで名前は知っていたが、「歌人」らしい。いずれにせよ、私と同世代の歌人が選ぶ明治以降の短歌というので買ってみた。</p>]]><![CDATA[<p>というのも、目次を見たら50人の歌人のうち半分近くは中学校や高校で学んだ名前だったから。正岡子規に始まって、佐々木信綱、与謝野鉄幹、窪田空穂、与謝野晶子、斎藤茂吉、北原白秋、若山牧水、石川啄木、吉井勇、釈迢空、岡本かの子、土屋文明、宮沢賢治、吉野秀雄、佐藤佐太郎、宮柊二など、名前だけは今でも覚えている。</p>
<p>さて具体的な短歌を覚えているかと思ったが、ほぼ記憶になかった。ただ読んでみると、かすかに記憶がある歌もある。例えば佐々木信綱の「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲」などは確かに当時読んで、見たことのない奈良の光景を勝手に思い浮かべた。</p>
<p>この歌に対して「代表歌である。一読して心に浮かぶ景色の鮮やかさと音読した時の心地の良さは、六つ重ねられた助詞「の」の効果による」と端的に説明されているが、そんな解説は当時はしてくれなかった。こんな感じで各歌人の代表作を５つずつ解説してくれるから、わかりやすい。</p>
<p>斎藤茂吉「めん鶏ら砂あび居たれひつそりと剃刀砥人は過ぎ行きにけり」も妙に覚えている。高校生の時、この歌を残酷で怖いと思った。解説は「不穏な衝撃がある」「どこか死神めいた雰囲気が漂っているのだ」だから、遠くない。</p>
<p>若山牧水「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」。これもまた「哀しからずや」という嘆きの言葉と共に記憶している。「この鳥の種類は何か。空にいるのか、それとも海にいるのか。そしてまた、一羽なのか複数なのか。現実的な三次元の景としては特定することができないのだ。にも拘わらず、純化された心の風景として、その思いは読み手に直に届けられる」。なるほど、謎だらけか。</p>
<p>ほかにも心のどこかに記憶している歌がいくつかある。してみると、昭和の中学や高校の国語教育には意味があったのではないか。私は高校生の時に「短歌や俳句はわからんが、ピカソやセザンヌはもっとわからん」と言っていたと後になって当時の同級生から聞いたことがある。「わからん」と思いながらも頭のどこかに覚えていたとは、なんとも不思議だ。さらに言えば、二十年後には展覧会の仕事でピカソやセザンヌを扱っていたのだから。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-12T07:42:26+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-7f057c.html">
<title>初期アサイヤスに震える：さらに続き『感傷的な運命』</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-7f057c.html</link>
<description>少し前になるが、東京日仏学院でオリヴィエ・アサイヤスの『感傷的な運命』（2000...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>少し前になるが、東京日仏学院でオリヴィエ・アサイヤスの『感傷的な運命』（2000）を見た。かつてたぶん同じ場所で見た時は本当に傑作だと思ったけれど、日本では劇場公開されずフランスでもさほど評価されていなかったと思う。</p>]]><![CDATA[<p>今回再見して、昔ほどの感動はなかったがやはり力作だと思った。それに自分が定年前で人生を振り返る時期に来たせいか、シャルル・ベルラン演じるジャンが妻を変え、仕事を移りながら懸命に生き、そして老いてゆく姿が妙にリアルに感じた。3時間とは言え、半世紀ほどを実に多くの人物と共に描くが、一人の人間の生き方として筋が通って見えた。</p>
<p>冒頭、ジャンは牧師として墓地である葬式を仕切っている。彼は妻（イザベル・ユペール）との間に娘がいるが、妻が不倫をしたためにお金を渡して別居させる。周囲の目もあっていったんは引き取るが、正式に離婚してポーリーヌ（エマニュエル・ベアール）と結婚する。</p>
<p>舞台はコニャック地方で、ジャンはコニャックを生産する一族の親戚のようだ。彼らが知り合うときの豪華なパーティはヴィスコンティの『山猫』を思わせるが、よりアップが多く人間模様を見せる。</p>
<p>イザベル・ユペールは自分だけが大事な女がぴったりで、エマニュエル・ベアールは情の深さを全身で見せる。ジャンは牧師をやめてポーリーヌとスイスの山奥で暮らし始めるが、しばらくするとジャンに対して一族が持つリエージュの陶器工場の経営が任される。</p>
<p>その工場のシーンがすばらしい。何百人という人々が働いて陶器を作っていく様子が細かに描かれる。ジャンは新しい工場を作って米国市場を狙うが、第一次世界大戦が始まる。ジャンも召集されるが、映画は塹壕や戦車など戦場まできちんと見せる。ポーリーヌは看護婦として働く。</p>
<p>戦争が終わり、ジャンは戻ってきて再び働き始める。再度アメリカ市場を狙って努力を重ねるが、世界恐慌が起こってしまい、海外への進出はいったん取りやめとなる。ジャンの長年にわたる経営改革はたいした成果をもたらさないまま、工場はつぶれかける。ある時、アメリカの買い手に工場を案内していたジャンは倒れる。</p>
<p>亡くなる前にジャンは妻に言う。「いろんなことをしたがすべて無駄だった。君への愛だけが意味があった」。そういえば後半にジャンが最初の妻の娘アリーヌを訪ねるシーンもいい。アリーヌを演じるのは例によってミア・ハンセン＝ラヴで、最初は不良少女として現れ、次には修道院に入った真面目な娘として出てくる。それを見届けるジャン。</p>
<p>登場人物が多すぎてまとまりは悪いが、こんな大河ドラマを巧みに統率して仕上げる演出力に感嘆した。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-10T07:52:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-536b9e.html">
<title>ギィ・ジルをまた見る：『海辺の恋』</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-536b9e.html</link>
<description>ギィ・ジル監督の『オー・パン・クペ』（1967）の印象が鮮烈だったので、最初の長...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>ギィ・ジル監督の『オー・パン・クペ』（1967）の印象が鮮烈だったので、最初の長編『海辺の恋』（1963）を見ることにした。初期ヌーヴェル・ヴァーグの代表的男優、ジャン＝ピエール・レオ―とジャン＝クロード・ブリアリが出ていると聞いたので。</p>]]><![CDATA[<p>２本とも、かつて仲の良かった若い男女が別れてしまったことを女の視点で語るという設定や白黒とカラーが混在する構造はほぼ同じ。しかし、こちらの方がずっとわかりやすい。パリで秘書として働く19歳のジュヌヴィエーヴは、昨年の夏に出会った水兵のダニエルが忘れられない。</p>
<p>再会の日、二人は燃え上がる。ダニエルはアルジェリアで水兵として４年間過ごしており、最後の１年はフランス西部のブレストの勤務となって数日後に去ってゆく。ジュヌヴィエーヴは何通も手紙を書くが、ダニエルの返事はだんだん少なくなる。</p>
<p>仕事をしながらもダニエルのことを考えるジュヌヴィエーヴは、同僚や同居人の女性にも話す。ダニエルはギィという水兵（監督自身が演じる）と仲良くなり、暇さえあれば軍港であるブレストの街を歩く。ギィはかつてはナントにいて「エルドラド」というバーに通ったことを話す。あれっ、それはジャック・ドゥミの『ローラ』ではないか。ギィは自由になるためにパリで一人で過ごしたことを楽しそうに話す。</p>
<p>後半、パリで一人で歩くジュヌヴィエーヴが路上で出会う変な男に、ジャン＝ピエール・レオ―とジャン＝クロード・ブリアリがいる。２人とも自分勝手に話をして、去ってゆく。そういえばルイ・マルの『鬼火』のポスターもあった。まさにヌーヴェル・ヴァーグに捧げたような映画だ。</p>
<p>ダニエルはブレストの１年が過ぎてパリに戻るが、ジュヌヴィエーヴに会うのに２日も躊躇していた。そうして彼は別れを告げて南仏に去ってゆく。ジュヌヴィエーヴは思い出を抱えたまま、生きてゆく。</p>
<p>手紙の青インクの文字が字幕で出てきたり、赤と青の傘、カラフルなボートなどカラーのシーンは主に放浪の場面が多い。その色彩感覚はドゥミの『シェルブールの雨傘』に近い。それぞれが孤独に過ごす時の画面は白黒が多いが、きちんとは区別されていない。</p>
<p>『オー・パン・クペ』の方が女性を中心にしてある種謎のような物語にしてあり、純度が高い。それにしてもこの映画は1963年に作られて2年後に公開されているが、なぜ話題にならなかったのだろうか。ジャン＝ピエール・メルヴィルが製作を助けたと書かれているが、ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちも手伝ったのだろうか。</p>
<p>私はヌーヴェル・ヴァーグの本を書いたが、まだまだ知らないことが多い。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-08T07:54:15+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-d7f739.html">
<title>あらためて河鍋暁斎に驚く</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-d7f739.html</link>
<description>サントリー美術館で6月21日まで開催中の「河鍋暁斎の世界 ゴールドマン コレクシ...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>サントリー美術館で6月21日まで開催中の「河鍋暁斎の世界 ゴールドマン コレクション」を見た。この画家は私が新聞社勤務時代に同僚が展覧会をやっていたし、これまで何度か展覧会も見たのでよく知っていると思っていたが、今回久しぶりに見ると抜群におもしろかった。</p>]]><![CDATA[<p>河鍋暁斎（1981-89）は、江戸末期から明治中頃にかけて活躍した画家で、描く題材は妖怪から動植物、世間を皮肉った風俗画など何でもありで、美術に詳しくない者が見ても単純におかしい。</p>
<p>例えば最初の方に展示されている《百鬼夜行図屏風》。頭はさまざまな獣で人間のような手足を持つ20ほどの妖怪たちが踊り、走り、戦う。何だか怖いというよりどこか茶目っ気があって楽しそう。「ゲゲゲの鬼太郎」の「夜は墓場で運動会」という主題歌の一節を思い出す。</p>
<p>《地獄大夫と一休》は美しい着物を羽織った芸者が日本画風に描かれているが、そのまわりには小さな骸骨がいくつも踊っている。そのなかで一番大きな骸骨は三味線を弾いており、その骸骨の頭の上に一休がいるというのは、どういう意味だろうか。</p>
<p>骸骨はたくさんの絵に出てくるが、《三味線を弾く洋装の骸骨と踊る妖怪》では、骸骨がタキシードの上下を着て黒のシルクハットをかぶり、三味線を弾いている。膝の上には日本刀。それを見ながら妖怪が笑う。たぶん洋装の日本人をからかったものだろうが、骸骨と妖怪の組み合わせがまさにブラック・ユーモア。</p>
<p>猫もよく出てくるが、《蝶と菊に猫》は鉢植えの菊の横で猫が蝶を見上げているだけ。キャプションに猫も蝶も菊も長寿のシンボルだと書かれてあったが、二羽の蝶をひたすら見上げる白い猫の姿に、人間を超えた大いなる永遠が見えてくる。</p>
<p>《猫と鯰の頭》は墨だけで描かれているが、丸々と太った猫が目を閉じており、その横に鯰の頭だけが置かれている。なぜか鯰に長い髭があるのが不気味だ。こちらは猫は芸者、鯰は役人を指すと説明されていたと思うが、それを知らなくてもふてぶてしい猫の姿はどこか世の中をなめたようでおかしい。</p>
<p>暁斎は明治に日本にやってきた画商のエミール・ギメや建築家のジョサイヤ・コンドルらと親交を結ぶ。たぶん暁斎の風刺精神やユーモアは、日本美術好きの当時の外国人にピッタリ合ったのではないか。みんな近代化を急ぐ日本を皮肉を持って見ていただろうから。</p>
<p>今回の作品は、英国人イスラエル・ゴールドマン氏のコレクションというが、彼が私とあまり違わない1958年生まれなのに驚いた。暁斎を買い始めたのは1980年代からだという。思わず、今からでも私も美術品を買おうかなという気になった。カタログを買いたかったが、もはや自宅にスペースはないので諦める。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-06T07:29:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-3a6756.html">
<title>「イタリア映画祭」も数本</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-3a6756.html</link>
<description>ヴェネツィア国際映画祭にはもう行かなくなったし、東京国際映画祭さえも見る本数は減...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>ヴェネツィア国際映画祭にはもう行かなくなったし、東京国際映画祭さえも見る本数は減った。この歳になると、「映画祭」で大量に新作映画を見てもしょうがないという思いは強くなる。それでも「イタリア映画祭」は自分が始めたせいか、やはり気になる。</p>]]><![CDATA[<p>まずイタリア文化会館のプレミア上映で見たのが『スイートハート』。1979年生まれの女性監督マルゲリータ・スパンピナートの長編第一作だが、題名通りほのぼのとしてかつ爽やかな作品。「北部」に住む少年ニコは、夏休みの間、シチリアの海辺の町の大伯母ジェーラの家に預けられる。冒頭はニコが空港から降り立って、嫌そうにジェーラに会うシーン。</p>
<p>ジェーラも歓迎している風ではない。ジェーラの住むのは昔は御殿だったような真ん中に大きな中庭のある建物の一角。そこには彼女と同じような老女たちが住み、中庭に集まっている。ニコはWIFIもないこの家に驚き、「中世に来たみたい」と言う。最初は近所の子供たちと距離を取っていたが、ローザという少女と偶然仲良くなる。</p>
<p>ニコとローザはジェーラの家を探検するうちに彼女の若い頃の写真を見つけ、隠された秘密に近づく。一方でニコは大好きなベイビーシッターだったが結婚したヴィオレッタへの思いから、ようやく立ち直り始める。都会の少年が田舎で人間らしさを取り戻すという定番ではあるが、少年や老女の変化を繊細に捉えて丁寧に仕上げた佳作。</p>
<p>次に見たのがマリオ・マルトーネ監督『外の世界』。これはベテラン監督で彼の作品はイタリア映画祭で何度も上映した。今回はカンヌのコンペに出たもので、ヴァレリア・ゴリーノが刑務所に入った実在の作家、ゴリアルダ・サピエンツァを演じる。</p>
<p>冒頭に刑務所に入って全裸にされるゴリーノが出てきて驚くが、映画は刑務所の前、刑務所の中、そして出獄後の彼女を自由に行き来する。ヘロイン中毒のロベルタや犯罪者の恋人を助けたバルバラなど、魅力的な囚人たちが続々と出てくる。気まぐれな女たちの出口のない暗い世界が単調に続くが、さすがマルトーネ監督で味わい深い。</p>
<p>この監督は長編だけでも10本以上作っているのに１本も日本で劇場公開されていない。この作品はたぶん難しいが、私が大好きな『戦争のリハーサル』（1998）や『笑いの王』（2021）などはせめて配信で見せて欲しい。</p>
<p>6月19日公開のフェルザン・オズペテク監督『ダイアモンド　私たちの衣装工房』はさすがに劇場公開が決まっているだけあって見やすい。これについては後日。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-04T08:54:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-96d08b.html">
<title>『ロストランド』の圧倒的なリアリティ</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/05/post-96d08b.html</link>
<description>藤元明緒監督の『LOST LAND／ロストランド』を初日の劇場で見た。配給会社の...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>藤元明緒監督の『LOST LAND／ロストランド』を初日の劇場で見た。配給会社の方に会うので普通は初日には行かないが、出演しているロヒンギャの子供たちがオンラインでトークに参加すると聞いて、興味がわいた。</p>]]><![CDATA[<p>この監督は『僕の帰る場所』で在日ミャンマー人家族の日々を描き、『海辺の彼女たち』で日本にベトナムから来た女性実習生たちの彷徨を見せた。いずれも居場所のない人々の物語で、今回はロヒンギャ難民の姉弟の放浪を描く。初めて舞台が日本ではなくなったが、どうなるか心配だった。</p>
<p>さらに彼のやり方は当事者を使って劇映画を作るというものだ。つまり事情をよく知っている者が、ある意味で確信犯的にその実態をさらす。ところが今回は子供２人が主人公というから、どうだろうかとも思った。</p>
<p>映画は５歳のシャフィと９歳のソミーラがかくれんぼをするところから始まる。そこがどこかも、なぜそこにいるかも一切わからない。実は名前も年齢もチラシを見ながら書いていて、たぶん最後までわからない。状況の説明をしないというのはこの監督の前二作もそうだった。</p>
<p>彼らは叔母と共にミャンマーに行くことになる。親戚の男が密航業者に金を払い、彼らは漁船に乗り込む。二十人くらいいただろうか。岸に着くと降りて歩かされる。それから別の業者に引き継がれるが、そこで叔母とは別れてしまう。２人はそこからも逃れて歩き始める。姉はある家のリヤカーを見つけて弟を乗せて歩き出す。</p>
<p>驚くのはちゃんと彼らを助ける人もいることだ。ここはタイでマレーシアに行くための手はずを整えようとする。観客が見えるのは、あくまで歩いてゆく姉弟と彼らの見る周囲だけで、いったい本当にマレーシアに向かっているのか、そもそもなぜマレーシアに行くのかもよくわからない。だけど見ているうちに、その切実さと辛さは自分のことのように思えてくる。</p>
<p>見終わって姉弟がオンラインで出てきた。撮影について聞かれても「楽しかった」とか簡単な返事ばかり。それでも二人とも明るくはしゃいで観客に両手を振る。どこにでもいるような子供だったことに、安心した。また質問した観客のうち、日本に20年いるミャンマー人女性の質問というか言葉も心に残った。</p>
<p> </p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-05-02T10:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-84c595.html">
<title>『これって生きてる？』に笑う</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-84c595.html</link>
<description>『これって生きてる？』という題名にはおよそ見る気は起きなかったが、俳優でありなが...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>『これって生きてる？』という題名にはおよそ見る気は起きなかったが、俳優でありながら『アリー／スター誕生』のような秀作を監督したブラッドリー・クーパーだし、金曜夕刊各紙にもいい評が出ていたので、劇場に出かけた。</p>]]><![CDATA[<p>結果は見てよかった。映画はある朝の中年夫婦の情景から始まるが、「もう別れようか」「そうだね」と話が進む。夫のアレックスは閑静な住宅地にある一戸建て出て一人でニューヨーク市内に住み始め、夜は街を彷徨う。飲み屋に入ろうとするとそこはショーをやるパブで、入場料を取られそうになるが、舞台に上がることで無料に。</p>
<p>さて彼は舞台で自分の別れたいきさつなどをとつとつと語るが、これが意外に受けた。中年だからあくまで自分を馬鹿に見せるコツを知っており、時おり本音を交える。一度うまくいくと、また別の日にトライしてさらに受けてしまい、止まらなくなる。</p>
<p>一方で妻・テス（ローラ・ダーン）はかつてバレーボールのオリンピック選手だったが、コーチの誘いを受けてまんざらでもなさそうだ。ある男から誘いを受けて夜のバーに行くとそこでは夫が演じ出したという次第。ローラ・ダーンの存在感がたっぷりで、中年で太った私でいいのとばかりに前向きだ。</p>
<p>どうなるか先の見えないながらも、妙な余裕とユーモアがあって流れに任せている２人の感じが、かつてのジョン・カサヴェテス監督の映画で、カサヴェテス本人と妻のジーナ・ローランズが演じる場面を思い出させた。「中年夫婦の危機」と言うにはあまりにも楽天的で、成り行き任せ。最近のアメリカ映画にはない洒脱な感じが気に入った。</p>
<p>そして10歳くらいの子供がいい感じで２人の間を行き来する。子供も妙に理解があって見ていて気持ちいい。ありそうでたぶん実際にはない夫婦の話だが、まるで酒の席で話を聞くような感じで笑いながら見ることができる。</p>
<p>たぶん40代の夫婦の話だが、それより20歳上の私が急に舞台に上がって一人語りをする場面を想像した。授業でウケるのと違って、酔った客の前では全くうまくいかない気がする。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-04-30T09:00:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-b47481.html">
<title>漱石の「個人主義」</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-b47481.html</link>
<description>久しぶりに夏目漱石の本を読んだ。といっても、『私の個人主義』と題して講談社学術文...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>久しぶりに夏目漱石の本を読んだ。といっても、『私の個人主義』と題して講談社学術文庫から出ている講演集だ。全部で５つの講演が載っているが、あちこちに本音が出ていてどれもおもしろかった。</p>]]><![CDATA[<p>一番は本の題名でもある最後の「私の個人主義」。ここでは主に２つのことが書かれている。一つは「自己本位」ということで、もう一つは「国家主義」に対する「個人主義」の勧めだ。</p>
<p>私には特に「自己本位」がおもしろかった。漱石は大学で英文学を専攻したが、全くわからない。「英文学はしばらく措いて第一文学とはどういうものだか、これでは到底解るはずがありません」「そんなあやふやな態度で世の中に出てといとう教師になったというよりされてしまったのです」</p>
<p>松山、熊本で教え、ロンドンに留学する。「しかしどんな本を読んでも依然として自分は嚢の中から出るわけに参りません。この嚢を突き破る錐はロンドン中歩いても見つかりそうになかったのです」</p>
<p>「この時私は初めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げる外に、私を救う途はないのだと悟ったのです」「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました」「私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです」</p>
<p>そして帰国すると、高校や大学で教える必要が出てくる。求められて文章も書く。「色々の事情で、私は私の企てた事業を半途で中止してしまいました。私の著わした文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸です」</p>
<p>「しかし自分本位というその時得た私の考えは依然としてつづいています。否、年を経るに従ってだんだん強くなります。著作的事業としては、失敗に終わりましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他は賓であるという信念は、今日の私に非情の自信と安心を与えてくれます」「自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道がいかに下らないにせよ、それは貴方がたの批評と観察で、私には寸毫の被害がないのです。私自身はそれで満足する積りであります」</p>
<p>この後に自分の「自己本位」を他人に押し付けてはいけない、それは権力になりうるからという理論が来るが、それはまた後日書く。私個人は、最近ようやく自分の「自己本位」というものを感じてある種の安心感、幸福感が生まれたところのような気がしている。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-04-28T08:44:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-d0381f.html">
<title>ギィ・ジルを初めて見る：『オー・パン・クーペ』</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-d0381f.html</link>
<description>ギィ・ジル監督の『オー・パン・クーペ』（1967）を劇場で見た。先日ここに書いた...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>ギィ・ジル監督の『オー・パン・クーペ』（1967）を劇場で見た。先日<a href="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2025/07/post-8720a2.html">ここ</a>に書いたリュック・ムレもそうだが、『ヌーヴェル・ヴァーグ 世界の映画を変えた革命』を書いた自分としては、そこで触れなかった監督は気になる。</p>]]><![CDATA[<p>リュック・ムレは名前は知っていたが、若い頃に１本だけ見た作品が苦手だったので本ではあえて触れなかった。ところがギィ・ジルという監督は名前も知らなかった。映画ライターの高橋諭治さんとメールのやり取りをしていたなかで、『オー・パン・クペ』の試写を見てすばらしかったという話を聞いた。</p>
<p>見てみると、始まってすぐに映像の非凡さにうなった。白黒で写されるのはジャンとジャンヌという若い男女で、どうもジャンは去ってゆく感じだ。そしてカラーで彼らが幸せだった頃の映像が出てくる。とにかく互いに話すだけで何もしないのだが、その佇まいがいい。</p>
<p>そこには精一杯生きて愛し合う男女の息吹があり、切なさがある。その存在感の強さに、私は同じ1938年に生まれたジャン・ユスターシュの白黒の映画を考えた。あるいは10歳下のフィリップ・ガレルを。いわばポスト・ヌーヴェル・ヴァーグの世代特有の、なぜか追い詰められた感じがあった。</p>
<p>しかしギィ・ジルの映画は、この２人に比べるともう少しお茶目というか、可愛らしい。カラーの過去の部分の色彩感覚は、『シェルブールの雨傘』などを作ったジャック・ドゥミを思わせるほど華やかで、ジャンヌの着る上着やセーターは見ているだけで楽しい。それが車や通り海岸の色彩と混じりあうように作られている。</p>
<p>ジャンヌは出会った別の男にジャンの話をし、ジャンの父親に話を聞く。あるいは自分の母親にジャンヌのことを話す。言葉、言葉、言葉の横溢は、トリュフォーの映画のようでもある。そのすべてが愛おしいから、あら不思議。これは絶対に『ヌーヴェル・ヴァーグ』で取り上げるべきだったと思った。増刷になれば書き足せるのだが。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-04-26T08:29:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-572840.html">
<title>『マーティ・シュプリーム』に引く</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-572840.html</link>
<description>『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』を劇場で見た。1950年代の実話を元にし...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>『マーティ・シュプリーム 世界をつかめ』を劇場で見た。1950年代の実話を元にした卓球の話で、ティモシー・シャラメ演じる卓球の天才の決戦の相手が日本人と聞いて見たくなった。『Shogun』のように時代劇ならともかく、今のハリウッドが1950年代の日本人を描いたらどうなるのかと思った。</p>]]><![CDATA[<p>実は監督のジョシュ・サフディは、弟と一緒に監督した『神様なんかくそくらえ』で2014年の東京国際映画祭グランプリを取っているが、私はかなり苦手な映画だった。しかし今回の『マーティ・シュプリーム』はアカデミー賞に９部門もノミネートされているしと思って見に行った。</p>
<p>ところが今度も私にはさっぱりピンと来なかった。叔父の靴屋に勤めるわがままな青年（ティモシー・シャラメ）がヒステリックに騒ぎ立てる。卓球では一流らしく、叔父からお金を騙し取ってロンドンの世界選手権に出て決勝で日本人のエンドウに惜敗した。</p>
<p>帰国すると叔父には訴えられるし、人妻の恋人には妊娠が発覚して追い詰められる。さらに高級ホテルでかつてスターだった女優（グウィネス・パルトロー）に一目惚れして、その夫が金持ちとわかると何とか自分のものにする。そして夫のプライベートジェット機で日本に行き、宿敵のエンドウとの決戦に挑む。</p>
<p>ありえない展開をテンコ盛りで進め、それを主人公の情熱というか狂気でとことんまで押し進め、派手な卓球の試合と音楽で遮二無二盛り上げる。あえてそれをサイテー男にやらせることで観客を面白がらせるという手法だが、私は退屈で2時間半が本当に長かった。まあこういう悪趣味で大騒ぎ映画が好きな人がそれなりにいるのは知っているので、あえてこれ以上は書くまい。</p>
<p>最後の日本での決戦は、美術も撮影もなかなかだった。1950年代のダサいが希望一杯の日本らしい感じが実によく出ていたが、後で映画のHPを見て上野恩賜公園で撮影したと知ってなるほどと思った。さらに35㎜フィルムで撮影したと読んで、50年代の映像にふさわしい画面のツヤが出ていたことを思い出した。</p>
<p>それにしても、グウィネス・パルトロウはあの役ではかわいそうだ。ティモシー・シャラメは『名もなき者』のディラン役で見事に歌うのに驚いたが、今回は卓球を相当のレベルでやり、同時におバカな突進男を演じてなかなかである。</p>
<p> </p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-04-24T08:38:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-bcc296.html">
<title>観山とは</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-bcc296.html</link>
<description>東京国立近代美術館で5月10日まで開催の「下村観山展」を見た。観山の名前は明治か...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>東京国立近代美術館で5月10日まで開催の「下村観山展」を見た。観山の名前は明治から戦前にかけて活躍した日本画家として名前は知っているし、作品もこの美術館や東京国立博物館の常設で見ているはずだが、個展を見たことがなかった。例えば一回りほど上の横山大観ならば、何度も大きな個展を見たのだが。</p>]]><![CDATA[<p>まず驚いたのは、展覧会の最初にある数点。10歳とか13歳で描いた絵が、既に本格的な日本画である。紀伊徳川家に代々仕える能楽師の家に生まれて橋本雅邦に学び、東京美術学校（現・芸大）に第一期生として入学。卒業後はすぐ教え始めたというから、まさに天才画家だったのだろう。</p>
<p>そして30歳頃に文部省派遣で２年間のイギリス留学。20世紀初頭でちょうど夏目漱石と同じ頃ではないか。なんと英国時代に描いて大英博物館に収められた作品も展示されている。古代ギリシャの哲学者ディオゲネスを描いたものだが、どこか和風で墨絵のようだ。</p>
<p>そして帰国後の作品に目を奪われる。《木の間の秋》（1907）は江戸琳派のように金地に木立を描く装飾性に、そこに差す光と影のリアリズムが加わって完成度が高い。たぶん欧州に広がっていたジャポニスムをも吸収していたように思える。</p>
<p>《大原御幸》（1908）は絵巻物。観山は能楽師の家系に育ったからか能をテーマにした作品が多いが、これもその一つ。後白河法皇が建礼門院を訪ねる話だが、こちらは誇張のないリアリズムで自然に見せている。</p>
<p>そして《弱法師》（1915）はもう夢の域だ。これも能から来ており、盲目の法師が落日に向かって拝む姿だが、全体の半分以上を占める梅の木とそこに咲く花が金色を背景にもの悲しい。そして左側の沈む太陽の橙色が永遠に響く。</p>
<p>そんな10点ほどの作品に圧倒されていると、後半は小品が多い。「観山会」というのがあって、三菱などの財界人や政治家と会って彼らに頼まれたようだ。ひょっとすると、そのせいで大作を作る時間がなくなって、小さな注文仕事をやっていたのではと思ったりもした。</p>
<p>いずれにしても1930（昭和5年）で亡くなっているので、戦後まで活躍した横山大観のような大きな存在にはなり損ねたか。しかしその絵を見れば驚異的な画家なのは明らか。後期展示の青いライオンを描く《獅子図屏風》がチラシで見ても良さそうなので、もう１度行くかも。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-04-22T07:42:35+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-fe256e.html">
<title>驚異のフランマルティーノ</title>
<link>http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2026/04/post-fe256e.html</link>
<description>6月19日に公開されるイタリアのミケランジェロ・フランマルティーノ監督の３本のう...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>6月19日に公開されるイタリアのミケランジェロ・フランマルティーノ監督の３本のうち、『地底への旅』（2021）を試写で見た。この監督は既に2010年の『四つのいのち』が翌年に日本で公開されて、大いに気に入った私はこの<a href="http://images2.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-3210.html">ブログ</a>にも書いている。</p>]]><![CDATA[<p>邦題は『四つのいのち』だが、原題はLe quatre volteつまり「四回」の意味。人間、羊、木、炭と中心は移ってゆき「四つのいのち」を見せる。ピタゴラス派の「四つの転生」に基づくという。途中で主人公が人間でなくなるという驚異の映画だった。</p>
<p>今回見た『地底への旅』は2021年に東京国際映画祭で上映されたが、見ていない。その時は、原題Il bucoの直訳の「洞窟」という題名だった。映画は、南イタリアのカラブリアで洞窟に潜って調査をする若者たちをそこに住む住民たちと共に見せる。</p>
<p>最初にクレジットで1961年の洞窟調査に触れられるが、私はこの映画がドキュメンタリーだと思って見ていた。羊飼いの老人が亡くなるシーンも、夜に村人たちが集まってテレビを見る場面も、メインとなる洞窟の探検も。ところが終盤になって、ひょっとしてこれは1961年を舞台にしたフィクションではないかと思い始め、終わってからそうだと確信した。</p>
<p>確かにいくらイタリア南部の山岳地帯でも、夜に一台の小さなブラウン管テレビの前に集まって村人達が集まって見ることは今はないだろうし、探検の現場で火をつけるイタリアの雑誌には表紙にケネディとニクソンの顔写真が並んでいた。さらに現代にしては探検隊があまりにも無防備だし、誰も携帯電話を持っていない。</p>
<p>なぜドキュメンタリーと思ったかと言えば、山村の空気の存在感だと思う。空は晴れたり曇ったり、雨が降ったり霧になったり。そして洞窟の闇と光のドラマがある。それぞれの音が牛につけた鈴の音や洞窟の中の音と混じりあいながら、響いてくる。終わりに、早朝、洞窟の中を何枚もの紙を使ってデッサンに残す男が出てくる。その美しき動作といったら。</p>
<p>撮影は名手レナート・ベルタで、彼が撮ったダニエル・シュミットやエリック・ロメールの映画の空気感を思い出すが、この作品ではさらにすべてが澄んでいて光と闇の中での空気の流れが繊細な音響の渦の中で伝わってくる。そのうえ、試写会場が映像、音響共にすばらしい日本シネアーツでよかった。</p>
<p>私はこの映画を見て、ヴィスコンティの『揺れる大地』（1948）のことを考えた。あるいはヴィットリオ・デ・セータの『オルゴソロの盗賊』（1961）やエルマンノ・オルミの『木靴の樹』（1978）を。つまりは、映画大国イタリアで脈々と引き継がれるネオレアリズモの系譜である。</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>映画</dc:subject>

<dc:creator>こがふとし</dc:creator>
<dc:date>2026-04-20T09:00:00+09:00</dc:date>
</item>


</rdf:RDF>
